今回クンストハウス・ウィーンを訪ね、フリーデンスライヒ・フンデルトヴァッサーとそのサステナビリティ思想、彼自身が設計した建物の一つである美術館で受け継がれる芸術家の信条について、館長のBettina Leidl氏に話を伺った。
Q. フンデルトヴァッサーの自然・環境保護思想についてお聞かせください。
フンデルトヴァッサーの思想は、19世紀の後半から20世紀初期における欧州やオーストリア・ドイツの伝統とも言える「自然と人間の関係」における思想に端を発しています。彼はエゴン・シーレに多大な影響を受けていました。この社会改革の時代、芸術家は新しい社会モデルを模索していました。そのなかで、常に一つのテーマとなっていたのが、自然と人間の関係です。フンデルトヴァッサーは、このテーマを芸術・日常生活・エコロジーと組み合わせたのです。
40年代から50年代の彼の初期作品をみると、そのなかには絵画手法だけでなく彼自身の生活が反映されています。時は第二次世界大戦後、人々はナチス・ドイツが行った大虐殺により、大きな傷を抱えていた時代です。フンデルトヴァッサーの母親はユダヤ人だったため、彼は戦争中に多くの親類縁者を失いました。過酷な状況下で子供時代を送ったのです。この時代多くの人々が彼のような体験をしており、戦後の芸術家たちは、それまでとは異なる「新しい世界」を創ることを夢見ました。
そのなかで、フンデルトヴァッサーの取り組みは、一貫して「理想的な暮らしの営みには自然が不可欠であり、どのような形でそれを一体化するか」というものでした。
クンストハウス・ウィーン館長 Bettina Leidl氏(写真:クンストハウス・ウィーン提供)
若い頃の彼は、どちらかというと反抗児で芸術大学に進みましたが、3カ月後には放浪の旅に出発します。そのなかで、国際的な感覚を身につけ、人とのネットワークを構築しました。戦後のウィーンは戦争による破壊で、貧困のなかにありました。フンデルトヴァッサーも貧しく、農家で働き、代わりに穀物を分けてもらうなどして生活していた時期もあります。その時の経験から、彼は限られたものでいかに生活するかということを学びました。そしてその後、「我々は、自然から与えられたもので生活できる」という考えを固めます。この初期時代が、彼の後の思想と生活スタイルを形成したと言ってもいいでしょう。
芸術家として成功した後も、フンデルトヴァッサーは、とても質素で謙虚な人でした。晩年にニュージーランドへ建設した自宅も、彼ほどの成功した芸術家なら豪邸を想像する人も多いでしょうが、むしろ小屋かコテージのような様相です。
そこでも、彼は水洗トイレを拒み、バイオトイレを設置しました。我々がいまでいう「ゆりかごからゆりかごまで」という概念を、当時すでに自宅で実験していたのです。
Q. 環境保護やサステナビリティという言葉が定着している現在と比べ、フンデルトヴァッサーの思想や活動は、当時はまだ革新的だったのでは? 一般的には、どのように捉えられていたのでしょうか?
フンデルトヴァッサーは、多くの活動を行なっていました。画家であり、建築家、デザイナーでもありました。彼は、「持続可能」な都市計画を目指し、緑をふんだんに取り入れた家々や街、建物の「自然な曲線」や「真っ直ぐでない床」、カラフルな柱などを設計しましたが、当時は驚きをもって迎えられました。
例えば、日常における緑の必然性など、おそらく、彼の考えは50年進んでいたと思います。当時、彼の建築は「一芸術家による建築」という受け止められ方をされていました。しかし、現在は、サステナビリティという意味で、社会的な同意を持って受け入れられています。