ただ、このときは陰で悔しい思いもしました。いまでこそ工場が自らブランド名を付けて製造販売するファクトリーブランドは一般的ですが、当時はそうするとアパレルメーカーから圧力をかけられたのです。
日本のトップブランドと商売をするために、仕方なく展示会に出展する商品へとつくり替えざるを得ませんでした。いわゆるミセス向け高級ブランド仕様に商品を変更した結果、たくさんのオファーをいただけたのは良かったのですが、自分たちが最初につくったものとは程遠い商品になりました。
それを見て妻が言った言葉はいまでも忘れません。「私たち2人でつくった可愛いコレクションが世の中に出るときは、せめてそのままの形で出してほしかった」と。自分たちのつくりたいものをマーケットに出すことすらできない苦しさを、泣きながら2人で噛みしめていました。
ところが、その展示会で知り合った人の紹介で、今度はアメリカの展示会への出展が実現することになりました。それが、アメリカで自分たちのブランド展開を始めることにつながったのです。紆余曲折を経て、ステージの高いニューヨークの展示会への出展が実現すると、そこで知り合った日本のエージェントを介して、逆輸入という形で日本でも商品を売れるようになり、ここから佐藤繊維のオリジナルブランドの展開が始まりました。
──自社ブランドを開始した4年後の2005年に社長に就任、昨年からのコロナ禍で3度目の転機を迎えることになりますね。(転機③)
佐藤繊維オリジナルのマスクをネットで直売すると、考えられないぐらい売れました。初めてお客様にダイレクトに商品を売る経験を通じて気がついたのは、いまの流通の仕組みは、小売りやアパレルメーカーの都合で決められているということでした。
シルクを使用したオリジナルマスク「素肌にやさしい絹のニットマスク」(https://online.satoseni.com/)
われわれ現場の工場は「この値段以上高くなると売れないから」と言われ続けてきましたが、そんな条件にいつまでも縛られるのはおかしい。流通のあり方を改革する必要性を実感しました。
コロナ禍の影響で百貨店のお客様に商品を販売できなくなってしまったので、これまで百貨店で購入してくださっていたお客様に自分たちの情報を届けるにはどうしたらいいだろうと悩み、YouTubeも開設しました。
すると、それを見て直接お店に来て買ってくださるお客様が増え、売り上げは一気に3倍に跳ね上がりました。ネットを活用し始めたことで、いままでとは全く違う売り方ができるようになりました。
──3度の人生の転換期を振り返ってみて、いま思うことは何でしょう?
自分の技術をマーケットに合わせて変えるのではなく、自分の技術でマーケットをつくることを考え始めたのが最大の収穫でした。いまがあるのは、自分たちのものづくりを起点に新しいビジネスをつくってきた結果だと思っています。
これから日本の製造業が自分たちの存在価値を見出していくためには、ものをつくる技術にプライドを持ち、どう進化させていくのかを考えることが重要だと考えています。今後は流通改革にも取り組み、製造業が高い技術力に見合った報酬を得られる仕組みづくりも進めていきたいと思います。
佐藤繊維はこれからもさらに面白くなりますよ。やりたいことはまだまだたくさんありますから。とにかくこれからも自分たちの夢を持ってものづくりをやっていきたいですね。