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佐藤繊維の佐藤正樹社長

売上げ、利益、従業員数などの「規模」は小さいが、未来を切り拓くユニークな取組みやビジネスモデル、プロダクト・サービスを展開する企業「スモール・ジャイアンツ」。ビジネスを通して、世界を変えようとしている企業のトップは、どんな人生を歩んできたのか。3つの転機をグラフで表し、その熱い物語を紹介するシリーズの第2弾。

今回登場するのは、山形県寒河江(さがえ)市の紡績・ニットメーカー「佐藤繊維」の4代目社長である佐藤正樹氏だ。独自の技術で生み出した糸は、世界中のハイブランドから指名買いされるクオリティを誇る。

2009年のオバマ大統領の就任式では、ミシェル・オバマ氏が、佐藤繊維の糸を使用したフランスの有名ブランド製のニットカーディガンを羽織っていたことで、一躍注目を集めた。カーディガンに使用されたモヘアは、通常1グラムを25メートル伸ばすのが限界とされていたものを佐藤繊維の独自技術で52メートルに伸ばしたもの。その繊細な糸が使われていたのだ。

近年は自社ブランドのニット製品の展開にも成功。さらにコロナ禍に際してはマスクの製造も行いヒットさせるなど、常に新しいチャレンジを続けている。

かつては「ファッションデザイナーを目指していた」という4代目の佐藤社長は、どのような思いを抱いて家業を継承し、東北の下請け業者の1つに過ぎなかった佐藤繊維を、スモールジャイアンツと呼ばれる企業にまで発展させることができたのだろうか。佐藤社長の人生グラフは次のようなものだ。



佐藤正樹社長の人生グラフ(直筆)

1. 30歳(1996年):製造直販をしていた時期。良いものを安くすれば売れるという考えは間違っていることに気づいた

2. 31歳(1997年):イタリアの紡績工場を視察。発注を受ける下請けではなく、自社で考えて自分たちのつくりたいものをつくると決める

3. 54歳(2020年):新型コロナウイルスによる感染症が拡大。マスクの製造とYouTubeチャンネルを開設する

──2005年に家業を継ぐまで、どのような人生を送っていたのでしょうか。

中学生のときに始めたボクシングに夢中でした。世界チャンピオンになろうと決めて真剣に取り組み、高校では最後は全国ランキング2位までいきましたが、自分の限界が見えたので、好きだったファッションの勉強をするために卒業と同時に上京しました。

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プロボクサーを目指していた頃

東京での生活は、楽しくはありましたが、充実感はなかったです。ボクシングをやっていた時のような大きな夢がなかったので。それでも東京で、いつかは華やかなデザイナーの仕事がしたいとは思っていました。自分はいずれ家業を継ぐだろうけれど、田舎でただ製造業をするのは嫌だというのが当時の本音でした。

あの頃、周りにいたデザイナーたちには、デザインが好きな人はいても、技術に詳しい人はあまりいませんでした。それで、自分は糸づくりやニットの技術を学び、専門的知識を持ったデザイナーになろうと決意して、1992年に妻と一緒に山形に帰ることにしたのです。妻はデザイナーをしていたので、彼女に「いつか君のブランドをつくろう」と言って。

──そんな決意を抱いて佐藤繊維に入社した後に、業績悪化に直面したのですね。

私が入社する直前までは、洋服がとてつもなく売れた良い時代でしたが、その後、メーカーはこぞって生産を海外にシフトし始め、下請けの業者は直撃を受けました。当時山形には450社ほどニットの工場がありましたが、倒産や廃業が相次ぎ、いまはもう10数社しか残っていません。

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文=一本麻衣 編集=松崎美和子

起業家ブランディング

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