経済・社会

2021.09.10 20:00

9.11から20年 アメリカ上空にいた私が見た異変

Getty Images


ニュース・プロデューサーとしては現場に向かわなければと焦燥感に襲われた。しかし、あたり一体は完全に封鎖されており「プレスだ」などという空手形だけではクレイジー扱いされ追い返された。何かの素材に使用できないかと、周囲の粉塵をビニール袋に詰め持ち帰ったが、ホテルのセキュリティと口論になり、破棄せざるを得なかった。
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誰も彼もがニューヨークがテロの標的となったことへ怒り、焦り、混乱していた。ネットから閉ざされた私は結局、数本の現地レポートを掲載するしかなかった。数日後の夕刻、ネットの呼びかけに応じ、慰霊のためキャンドルに火を灯し、多くのニューヨーカーとともに七番街の路上で祈りを捧げた。

アフガンで繰り返される悲劇


アフガニスタンをイスラム原理主義の温床としたのは、他ならぬアメリカだ。1979年12月、ソビエト連邦政権が、アフガンの親ソ政権支援のためアフガンに侵攻。ソ連軍に対抗するイスラム原理主義テロ組織に対し、アメリカが武器支援を開始。原理主義者、愛国主義者として組織化された。後のタリバンが88年に誕生し、同時多発テロの実行組織、アルカイダを懐に抱えることになる。

タリバンは「他国排斥」組織だったがゆえに、ソ連撤退後は反米化が顕著となり、それはまずアルカイダによる93年の世界貿易センタービル爆破事件として顕在化した。ちょうど私がニューヨークに住み始めた年の出来事だ。
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2019年12月、ジャララバードにて命を落とした医師の中村哲さんは前述の米支援について、その著書で「アフガン市民を生かさず殺さず戦争を継続させる戦略だった」と、その中途半端加減を指摘。さらに、アフガン組織の反英米感情についても「承知していたはず」とその功罪に言及している。

アフガニスタン
タリバンが政権を奪還する前、壁には中村哲さんの似顔絵が描かれていた(画像=Getty Images)

米同時多発テロを契機に米軍はアフガンに侵攻し駐屯した。アフガン侵攻とタリバン政権の瓦解はかえってイスラミック・ステート(IS)の勢力拡大を招いた。政権空白となったイラクからシリアを支配し、西側諸国がこれを排除に動いた過去は、まだ記憶に新しい。

11年5月、米国はアルカイダの指導者、オサマ・ヴィン・ラディンを討ち取ったものの、テロの亡霊は消えぬまま、アフガン駐屯にはさらに10年が費やされた。

先月31日をもって米軍のアフガン撤退は世界各国を巻き込んだ騒動となっている。だが今回タリバン政権を支持しているのはロシアと、この20年で大国となった中国である事実は、歴史の皮肉だ。

日本の芸術家・平山郁夫はタリバンにより爆破された現地をモチーフにした数々の作品を残している。しかし、ソ連のアフガン侵攻以降、かつて栄えた数々の文明の遺跡を一般の日本人が探訪できるような国ではなくなってしまった。

米同時多発テロに至る前、アメリカでの空の旅はもっと気楽だった。搭乗券を持たない友人・知人が搭乗ゲートまで見送りに来ることも多かったが、現在の厳重なセキリティ検査においては、昔の物語となってしまった。
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文=松永裕司(Forbes JAPAN オフィシャルコラムニスト) 編集=露原直人

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