誰の「生」も思い通りにはならない。余命短い女優の思惑と人々の選択

その1日は忘れ難いものになる─(c)2018 SBS PRODUCTIONS/O SOM E A FÚRIA (c)2018 Photo Guy Ferrandis/SBS Productions

この夏も、相次ぐ大雨が大きな災害を引き起こした。記憶を辿ってもこの10年は頻繁に大雨や台風による被害が起き、その都度犠牲者が出ている。

疫病と災害によって、死が以前より身近なものに感じられるようになった21世紀。これは、誰でもがそれぞれの終末に向かって歩いているということを、改めて自覚し直す機会なのかもしれない。

日本人の近年(2019)の死因を調べてみると、1位は悪性新生物、2位は心疾患、3位は老衰、4位は脳血管疾患、5位は肺炎。悪性新生物はいわゆるがんのことで、全死因の約3割を占める。

世界に目を転じると、低所得国では感染症が多く、高中所得国では肺がん、胃がん、虚血性心疾患の割合が高いという。

自分はまだまだと思っていても、親の病や死をきっかけに、人生の仕舞い方を考えるようになる人は多いのではないだろうか。

というわけで今回は、イザベル・ユペール主演の『ポルトガル、夏の終わり』(アイラ・サックス監督、2019)を紹介しよう。

すべてに自分の意思を貫いて生きてきたが、末期がんで余命いくばくもないことを知ったフランキーという初老の大女優が、ゆかりの人々を集めたある夏の1日をめぐる群像劇だ。

フランキーが呼び寄せた人々


冒頭は、緑をバックにしたホテルのプールサイド。オレンジ色の部屋着にサングラスの痩身の女性が石段を降りてきて、サッと周囲を見渡した後、ベンチに進み部屋着とブラジャーを脱ぎ、プールに飛び込む。

そこまでの動作が実にイザベル・ユペールそのものであり、また彼女が演じる「ヨーロッパを代表する女優」フランシス(愛称はフランキーで、この作品の原題もFRANKIEという)の性格をよく表している。

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(c)2018 SBS PRODUCTIONS/O SOM E A FÚRIA (c)2018 Photo Guy Ferrandis/SBS Productions

舞台は、街全体が文化遺産に登録されているポルトガル、シントラ。リスボンから約30キロの風光明媚な山間の街には、さまざまな時代の宮殿や城跡、庭園、「奇跡の泉」などが点在し、ポルトガル王家の避暑地としても有名だ。

最初の20分ほどの間に登場する人々の関係、各々の抱える個人的事情は、物語の進行に従って徐々に判明してくる仕組みだが、ざっと知っておいた方がわかりやすいだろう。

巨体を紺のジャケットに包んだフランキーの夫ジミー(ブレンダン・グリーソン)は、まだ知らされて間もない妻の運命に沈みきっている。彼に慰めの言葉をかけるのは、フランキーの最初の夫で、息子ポールをもうけたものの、後にゲイとして生きているミシェル(パスカル・グレゴリー)。この酸いも甘いも噛み分けた2人の初老の男性の並びが、実に好もしい。

ジミーの連れ子のシルヴィア(ヴィネット・ロビンソン)は、夫イアンとの間に年頃の娘マヤがいるが、夫婦は離婚の危機に瀕している。不和の原因はわからないものの、話し合いの余地なしという態度のシルヴィアにイアンは押され気味だ。夫に隠れて新しい住まいを探している母親に反発したマヤは、1人で海にでかけてしまう。

フランキーの最大の懸案事項は、中年にさしかかってまだ独り身のいささか頼りない息子ポール(ジェレミー・レニエ)のこと。NYに渡る予定の彼の伴侶に相応しいのは、年下の親友でメイキャップ・アーティストのアイリーン(マリサ・トメイ)だと思い定めているフランキーは、彼女が到着したらポールに紹介する気でいる。
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文=大野 左紀子

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