田坂広志の「深き思索、静かな気づき」

過日、あるテレビ番組で、「上司が褒めてくれない」という若手社員の不満について特集をしていた。

その番組コーナーでは、「自分の上司は、絶対に仕事を褒めてくれない。褒めると負けだと思っているのだろう」という若手社員の声とともに、「もう学生ではないのだから、褒めて欲しいという甘えは捨てるべきだ」という上司の声を紹介していた。

恐らく、この二つの声を聞いて、読者の多くは、「いまの若手社員は、褒めてあげなければやる気にならないのでは…」「やはり、上司としては、上手く部下を褒めることができなければ、部下はついてこないのでは…」といった感想を持たれるだろう。

そうした世の中の空気もあり、近年、管理職に良く読まれているのが「褒める技術」や「褒める言葉」などのタイトルの書籍や雑誌特集である。

もとより、マネジメントにおいて、部下を適切なタイミングで、適切なポイントを「褒める」ということは、彼らの仕事への意欲を高め、その成長を促すという意味で、極めて重要なことであろう。

実際、自身の若手社員の時代を振り返ると、未熟な筆者の良い所を見つめ、褒めてくれる何人もの上司に巡り会った。それらの上司の言葉で、筆者は、難しい仕事に取り組むときも勇気づけられ、拙い歩みながらも、自身の中に眠る可能性を開き、こうして成長してくることができた。

しかし、昨今の「褒める技術」や「褒める言葉」といったものに依拠したマネジメント論を見ていると、そこに「危うい落し穴」を見るのは、決して筆者だけではないだろう。

その「落し穴」とは、一言で言えば、「操作主義」の落し穴である。

すなわち、こうした「褒める技術や言葉」といったものを用いるとき、その上司の心の中に、「こうして褒めれば、部下は喜んで、自分についてくる」「このように褒めれば、部下のモチベーションが上がり、仕事の成果が上がる」といった発想、換言すれば、「部下を自分の思うように動かしたい」という密やかな「操作主義」が忍び込むのである。

しかし、もし上司が、こうした「操作主義」の発想を心に抱いたまま「褒める技術や言葉」を使うならば、部下は、上司の心の中の「自己中心の発想」や「無意識の傲慢さ」を感じ取るがゆえに、こうした技術や言葉は、決して良い結果をもたらさない。

文=田坂広志

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