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2021.07.01

ジェフ・ベゾスが最高経営陣で共に励み、後継者と目した「もうひとりのジェフ」

ベゾスの後継最有力候補ともいわれていた元アマゾンコンシューマー部門トップ、ジェフ・ウィルク(Mike Kane/Bloomberg via Getty Images)


当時としては自分らしくないことだったが、わたしは「わかった」と即答した。帰りの車中で妻に電話して、この仕事はなんとしても引き受けなければならないと伝えた。そのときは子供がまだ1歳と3歳で、郊外で子育てをするつもりでニュージャージー州に家を買ったばかりだった。妻の名誉のために言っておくと、「わたしはうれしくないけど、それが正しい道だとあなたが思うなら応援する」と言ってくれた。

その2日後にはもうシアトルへ飛んで、ジェフ・ベゾスはじめ、ジョイ・コヴィー、デイビッド・リッシャー、リック・ダルゼルに会っていた。経営幹部全員に会えたことは大いなる感激だった。


アマゾン・コム立ち上げの頃のジェフ・ベゾス

戦略とオペレーションの両立


シアトルに向かうその機内でわたしは、1997年にジェフが初めて書いた「株主への手紙」を読んだ。

どこかの経営者が言っているのを聞いたことがあるようなことばかりだったが、この会社なら本当に実現できると思った。なぜなら、

・四半期ごとの利益に固執せず、長期的な視野で最大限の利益を追求しようとしている

・現金以外ではなく、現金収入を重視している

・顧客のことを第一に考え、地球上で一番顧客中心の会社をつくろうとしている

・イノベーションを重視している

からだ。

わたしはジェフの言葉を信じた。そしてその気持ちは、実際に彼らと会って「確信」に変わった。

わたしはそれまでに、四半期ごとの利益をあげようと躍起になるあまり、最大の利益を逃している企業の事例をあちこちで見ていた。「ひとつのミスがCEOとしてのキャリアの終わりを意味する」。1999年当時はまさにそういう時代だった。すべてが水の泡になると思うと、たった一期の失敗すら許されなかった。そのせいで、せっかくチャンスがあってもまったく投資できずにいる人が大勢いた。だが、アマゾンは違うと思った。

彼らはその日のうちにわたしを雇うことを決断した。

ジェフとの面接で、わたしは自分をオペレーションまわりだけの人間ではなく、会社を一緒に築いていく戦略パートナーと考えてほしいと伝えた。彼はその約束を守り、わたしはオペレーションと「戦略」を任された。そして7年間、オペレーションに携わったあと、2007年に北アメリカの小売チームを引き継いだ。

アマゾン最高経営陣「Sチーム」最後の2人に


アマゾンでの20年間は、友人や優れたリーダーや世界中での経験に恵まれ、これ以上望みようもないほど幸せだった。本当に夢のような時間だった。

アマゾンの最高経営陣は「Sチーム」と呼ばれ、もともとはジェフ・ベゾス直属の組織だった。2021年3月にわたしが退社した時点で、Sチームの最古参のメンバーはわたしとジェフだった。ご想像のとおり、Sチームは会社の運営を担う最高組織で、初期のSチームは、技術、人事、法務、オペレーション、小売りのそれぞれの事業の責任者が集まっていた。

2000年中頃から、アマゾンはAWSとデバイス事業に重点を置くようになった。そして事業の多角化に伴い、Sチームの役割も変わっていった。個々の事業の運営ではなく、会社全体のメカニズムを定めるようになった。

アマゾンの企業文化を維持するため、われわれは一丸となって何をすべきかを話し合った。明日を今日より「いい日」にすることを忘れないように心がけ、大企業でありながらスタートアップ企業の心意気を忘れず、世界中から優秀な人材を集めることに注力した。
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翻訳・編集=北綾子/S.K.Y.パブリッシング、石井節子

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