空港からホテルに向かう最中、ホテルから迎えにきた運転手が岡に無邪気にこう言い放った。
「今夜は1泊10万円以上だよね。僕が10万円以上稼ぐのは大変なんだよ」
岡はこれからそのホテルに泊まるのに失礼だな、と心の中にそう思った。それからホテルのことや地域のことを語り合いながらホテルへの道中を楽しんだ。そして、ホテルに到着して受付で迎えてくれたのはその運転手の母だった。
「ごめんなさいね。運転手が失礼なこといいませんでしたか?あの子は私の息子なんです。このホテルではたくさん地元の家族が働いています。何か困ったことがあったらなんでも相談してくださいね」
運転手の母と話してみると、彼女のお父さんがキッチンで働いていることや、アマンができて地元の食文化、クラフト文化、アートが注目されて値段がつくようになったということがわかってきた。ホテルが地域を侵食するのではなく、ホテルが地域を引き上げていることに、岡は衝撃を受けた。
「ホテルは自分にとって金融の方程式にあてはめて運用する投資物件だった部分もありました。しかしそこに人間の感情が加わることによって人々を幸せにする、愛し愛されるホテルが建設できると感じたのです」
自分が大事にしたいのは、こういう地元に根ざした愛情が溢れる1つの村のようなホテルだ。かつて利益重視型の大型ホテルを担当していた岡の中に、哲学が確立した瞬間だった。
本当に自分がつくりたい宿とは
瀬戸内海を臨む、海水運の拠点ともなった瀬戸田にAzumiはオープンした(Photo Max Houtzager)
「これは自分がつくりたいホテルだろうか」著名デザイナーを採用し、大きな資本を投下した利益追求型のホテル建設に、仕事のありかたを考えていたころだった。
自分がつくりたいのはアマンダリのように、ホテル全体が1つの村になっているような温かいコミュニティと地域経済だ。そんな気持ちが岡の心に込み上げてきた。
岡が兼ねてから思いを共にしていた早瀬文智と共に、日本の根底に流れる多様な文化や、温かな地域コミュニティを探る旅ができるようなホテルをつくるべく、会社を創業した。そして瀬戸田に土地を購入し、アマンダリで経験したような理想とするホテルの設立に動き出した。
ゼッカはニューヨークの雑誌「TIME」のアジア特派員記者として活動していた1950年代当時、日本に滞在したことがあり、その時の地域社会に深く根付いた旅館と、おもてなしの文化に感銘を受けていた。ゼッカは岡らが会社を設立する3年ほど前に実権を手放していた。