「アートの顔をしていないのにアート」であるカウズの作品の資産性についても書き加えておこう。
彼はアメリカのアーティストでありながら、日本で、アートトイズという新しいアートのシーンにおいてオンリーワン的に展開してきた。また、ペロタンというフランス拠点のメガギャラリーにずっと所属していたことで、アメリカよりもヨーロッパでの活躍のほうが早かった。
現代アートの主要市場はアメリカであるため、アメリカのアーティストが本国での売り上げが多いのは当然なのだが、カウズは、日本とヨーロッパを経てアメリカの市場に進出したというイメージが強い。
2020年半ばまで、アメリカは自国出身のアーティスト作品のオークションの年間落札比率も全体の10%に過ぎなかった。アメリカが世界の現代アート市場における40%ほどを占めていながら、自国のアーティスト作品が10%程度にとどまっているということは、まだまだ大きな伸び代があるといえるだろう。
ちなみに、現代アートの現役最高額100億円の落札価格をたたき出した米アーティストのジェフ・クーンズは、世界での落札数のうち約半分がアメリカである。こう見ると、カウズのファンがアメリカで増える、イコール競合も増すことになるので、価格は今後も上昇すると見るのが自然だろう。
しかも、カウズはこのタイミングで、所属ギャラリーをペロタンからニューヨークのスカーステッドに移ることになった。
日本でも人気のカウズであるが、2021年7月16日〜10月11日に、東京・六本木ヒルズの森アーツセンターギャラリーで大規模な展覧会「KAWS TOKYO FIRST」が予定されている。2019年にバスキア展でも行われたように、得意のメディアを絡めての展開は、カウズの人気を押し上げるだろう。
すると、あの「ピノキオ」の価値はどうなっていくのだろうか。
ただのビニールのフィギアにしか見えない玩具が、「アート」として価値をまとい続けていくはずだ。何が「アート」になるかは、アーティストが何を媒体として活用しているかを考えればわかる。
カウズの作品を、アートのメディア(手段)として眺めていると、自分の身の回りにある「当たり前」をリセットして、新たに想像してみるということが、とてもわくわくすることであることに気づくと思う。
カウズ展が始まったときには、ぜひ直にカウズの作品と対面することをお勧めする。きっととてもインスパイアされるものを発見するはずだ。
カウズの描くキャラクターの目は「バッテン」で、日本人からするとちょっとネガティブな感じもするが、「✕」はキリスト教の世界では「KISS」を意味するので、これもまたモノの見方としての気づきを促される。
現代アートはグローバルであると同時に、アーティストの国の文化がダイレクトに融合されている。そこも面白い。カウズの「ピノキオ」は手で顔を隠しているが、「辛くて」手で覆っているのではなく、両目に「KISS」と書かれているため恥ずかしいからそうしているのかもしれない。そうみると、ピノキオのバッテンの表情もまた違って見える。
鑑賞する人間の意識次第で作品からのレスポンスは変わる。だから、アートは生活と心を豊かにするのだろう。
連載:「グッドビジネスは魅力的なアートか?」 ~現代アートとブランドビジネスの相関性
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