テクノロジー

2021.03.10 21:00

形と心 進化するメディアの両極から考える

Rawpixel.com / Shutterstock.com


こうした一群の真ん中には家電やコンピューターがあり、こうしたハードの制約に縛られたメディアをデジタル化して、右上の究極のソフト産業に導く、というのがアップルの主張する当時のマルチメディアによるデジタル戦略だった。
advertisement

当時はテレコムとコンピューターの境界領域をまたぐサービスがニューメディアと呼ばれたのだが、実際にはパソコン通信程度のものしかなかったが、まさにそれを具体化・一般化したのがインターネットだった。すべてのメディアの真ん中にネットがあり、全体を真ん中でつないで形と心をつないで、矢印の方向に進化していくと考えるなら、現在のメディア全体の流れが見えては来ないだろうか。

PIRPのオリジナルの図では、こうした情報サービスのさらに進化した右上の端に、「宗教」と書かれていたが、まさにメディア産業の持つあらゆる要素をソフト化していった姿は、こうした方向に向かっているのかもしれない。

形と心の行き着く先


しかしこうした形や心を重視するのはむしろ昔のメディアかもしれない。往々にして形から入ることがまず要求されるのは、古典芸能や伝統の世界だ。お茶をただ飲めばいいのに、お点前と称する儀式のような形を教わり、それを続けて慣れていくと、ふとその形式に収められた心に気付くようになる。こうした形を習得するのにえらく時間やお金がかかるものだが、茶の湯の心はその境地だけを言葉で聞いてもなかなか理解できないものだ。
advertisement

また現在のメディアはいまだにXもYも低い値を取った、ハードウェアや形が優先するものが主流だ。特にテレビや携帯電話のような形がまずありきのサービスは、電波利用の許認可を受けなくてはならず、情報ビジネスの一等地を手に入れれば、銀座の真ん中の土地を借り受けたような状態になる。いい場所に店を構えれば何を売ってもいいというわけではないが、業務のほとんどが不動産獲得を中心に展開されると、中身がおろそかになる可能性も出て来る。そして結局、監督官庁の接待という歪んだ構造も生み出すことになる。

いままでの学歴社会では、まずいい学校に入り、名のある会社に入ることに大方の努力を傾ければ、後は大した仕事をしなくとも年功序列で偉くなれるシステムが機能していた。そのため、どうしても形ばかりに注意が行き、それを獲得することが権威に結びつき、権威のある人が中身のない行動をしてスキャンダルに至ることもあった。

一方その逆ともいえる、心から入る創造的なアートなどの活動は、なかなか社会から支援や評価を得ることは難しかった。

現在のインターネットが全メディア産業を、図の右上の形に囚われない中身や心を中心に動く世界へと変容させつつあるが、時代は形から心へと変化しており、その流れがLGBTの多様性を認める論議や、女性の差別解消の動きと連動しているようにも思える。

しかし世の中は、形も心も大切で、その両者をバランスよく持つことが必要だ。形式に強い人と中身に強い人は往々にして別で、これまでのデジタル業界の中でも、アップルのジョブズとウォズニアックや、マイクロソフトのゲイツとアレンなどの関係を見ていると、中身に強い監督のような人材と、形をしっかり構えてその中身を受け止めるプロデューサーのような人材が組んで、初めて新しい分野を開拓し伸ばしていくことが実証されている。


若き日のビル・ゲイツとポール・アレン(Photo by Ron Wurzer/Getty Images)

そうした形と心をいかに融合させ一つの世界を作るかという中心に、コンピューターという存在が生まれたことは、メディアの進化にとって必然的なことだったのではないかと思える。

連載:人々はテレビを必要としないだろう
過去記事はこちら>>

文=服部 桂

advertisement

ForbesBrandVoice

人気記事