形と心 進化するメディアの両極から考える

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1970年代に初めて「パーソナル・コンピューター」という概念を世に問ったアラン・ケイは、それがどんなものかを説明する際、あるテレビ番組の話をよく例えに使っていた。

まったくの素人に、グリップやストロークなどの基本を教えるのではなく、まず踊るようにテニスをする動きを体全体で真似る訓練をして、プレーする全体的なイメージをしっかり持ってもらうと、1時間ほどの番組の間にその人がラリーをこなせるまでになるという内容だ。

パソコンは心が優先


日本ではコンピューターが電子計算機と呼ばれていた時代で、会社や研究所にしかない高価な部屋サイズの大型機械で、その細部を理解してスイッチを操作し、パンチカードに難しいコマンドを打ち込んで使うという専門的で複雑な手続きが不可欠だった。計算するという本来の目的とは無関係な多くの「形」から入る必要があった。

ところがケイの唱える個人のためのコンピューターは発想がまるで違った。手に取れる小さなサイズで、このテニス番組の話のように、いちいち操作の手順を気にすることなく、使いたい気持ちを日常感覚で伝えれば簡単に応えてくれ上達できるものだったのだ。

そうは言っても、その後1980年代に一般化し始めたパソコンは、素人にはまだ難しい専門的知識が必要で、慣れるのに時間がかかった。まずキーボードが使えなければ始められないし、OSやアプリの意味不明なパラメーターを入れないと動かなかった。機械と人間のコミュニケーションを簡単にするマンマシンインターフェースの研究も昔から行われていたが、人間同士が話すようにコンピューターと付き合うのはけっこう大変だ。

パソコン誕生以降のイノベーションは、ほとんどのパワーをこの分野に注入してきたと言っても過言ではない。現在の(電話もできるパソコンとも言える)スマホは、顔認証や音声で指示もできるようになるなど簡単になったとはいえ、いまだ慣れない人には戸惑うことも多く、彼が理想とした誰でもが「思うがままに」すぐ使えるレベルには達してはいない。

その「思うがままに」という理想を夢みたパイオニアとして思い出されるのは、マンハッタン計画を主導したMITのバネバー・ブッシュだ。短期間に原爆を作り上げるという巨大プロジェクトを動かすのに、何千人もの人々が作る報告書や論文をやり取りする煩雑さに辟易として、いま決めなくてはいけない「情報」を瞬時に引き出す方法がないかと、(まだコンピューターもないので)マイクロフィルムに記録された情報にキーワードを付け、すぐに検索できる、グーグルの祖先のようなMEMEX(Memory Extension:記憶の拡張)という装置を作ろうと夢見た。

昔は必要な情報を探し出すためには、辞書を調べたり、専門書を買い込んだり、図書館に通ったり、関係者に問い合わせたりと手間がかかり、専門的な情報はノウハウがないとたどり着けず、その手間に忙殺されているうちに調べるのを投げ出したり、そもそも何を調べるのかさえ分からなくなることもあった。

いまはどうだろう。ネットの検索サイトにただキーワードを打ち込むだけでいい。情報を探すための手続きは格段に減って、本来の思考にさける時間が格段に増えた。ビル・ゲイツも1994年にネット時代のパソコンの理想として、「指先ですぐ情報アクセス」できるという標語を掲げていたが、昔はまるで魔法のように感じられたことを、無駄な手間なく実現する環境が整いつつはある。
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文=服部 桂

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