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2021.01.30

1本30万円の「お茶」と最高級の茶葉を生む80歳の名人

King of Green MASA Super premium


太田氏は、静岡県浜松市天竜地区で代々続くお茶農家に生まれ、良質な茶葉がとれるにもかかわらず無名だった産地を「天竜茶」というブランドに押し上げた第一人者だ。山あいの産地ならではの手作業、有機肥料を使った自然な茶づくりを心がけ、タイやミャンマーなど海外からも農業指導の依頼が来る業界の有名人だが、日本茶、特に高級茶の消費減少、それに伴う離農者の増加に心を痛めていた。

「昔は茶畑が3反(約0.3ヘクタール)あれば一家で暮らしていけたが、今は難しい。手摘み・手もみで作っていたのも、今は機械摘みが主流。機械だと葉が千切れてしまい、断面から味が逃げる上、余分な部分も収穫してしまうので雑味も増える。昔ながらの一芯二葉できちんと摘んだ、上質なお茶の文化を残したい」と胸中を明かす。

二人の出会いは、吉本氏が、加熱殺菌・添加物不使用の工場を建設するために受講したSGS-HACCP認証の研修でのこと。その後、神奈川県と浜松市による農業と商業の連携(農商工連携)によって、2008年、1本2万円の高級ボトルドティー「Masa」が誕生した。

その最高級バージョンが「King of Green MASA Super premium」だが、1本30万円のお茶に使われる茶葉はどのように栽培されているのか。産地である静岡県浜松市の山あい、天竜地区にある太田氏の茶園を訪れた。

「いつか、天竜の茶を日本一にする」


11月は、ちょうど茶の花が咲く頃。他の茶畑では、白い花が咲いているのが見える。しかし、太田氏の茶畑では、緑色の固い蕾がちらほらと見える程度だ。話をしながらも、その蕾を見つけては手早く摘んでいく。花を摘むのは、摘果と同じで、花に行くはずだった栄養を木に留めるためだ。

「茶畑に来たからには、何か一つは仕事をして帰らないとね」と手を動かす太田氏の体には、茶づくりが染み付いている。



少なくとも幕末から、先祖代々茶の栽培をしてきた。赤ん坊の頃から祖父に背負われて茶畑に出て、最初の手伝いは、茶葉を蒸すためにかまどに薪をくべることだった。中学校に上がっても、収穫期は2カ月ほど学校を休んで作業を手伝った。機械がなく、手摘み、家庭での手もみが当たり前だったため、小さな茶畑でも、それだけの手間がかかった。

家族で丹精込めて作った茶葉は、父が自転車に積み、山を越えて、茶商のいる約20キロ先の森町に運ぶ。当時、天竜の茶は、よりネームバリューのある「森町の茶」として売られていた。

覚えているのは、5歳の時、祖父が戦後初めての茶の品評会に出品した時のこと。当時天竜は山あいの無名の産地。茶葉の品質は良くても、平地で大規模に茶づくりを行う他の有名産地に押され、評価はしてもらえなかった。肩を落とす祖父の姿を見て、「いつか、天竜の茶を日本一にする」と誓った。
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文=仲山今日子

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