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2021.01.30 11:30

1本30万円の「お茶」と最高級の茶葉を生む80歳の名人


15歳で集団就職し、トラックの運転手をしながら各地の茶畑を見て回った。客観的に、自分の土地の可能性を知りたかったからだ。「天竜の条件は悪くない。ここに人の手と愛情が加われば、本当に日本一の茶の産地にできるはずだ」と確信し、本格的に茶づくりを始めた。

1980年を皮切りに、数々の品評会で受賞。1992年には、仲間と共同で荒茶工場を、1996年には天竜茶研究会を作り、「天竜茶」として地域全体の知名度を上げていった。

一方で、日本茶を取り巻く環境は大きく変化していた。高度経済成長期前までは贈答品として高級日本茶の引き合いも高かったが、食生活の欧米化やペットボトルの普及などにより、次第に消費が伸び悩み、後継者不足から耕作放棄地も目立つようになってきた。良い茶を作っても、売れなければ仕方ない。そこで出会ったのが、高級ボトルドティーの商品化を進めていた吉本氏だった。

「自然にはかなわない」


天皇杯を受賞した茶畑は、四季を通して日照時間が長い山の南斜面にある。山の中腹、標高約300メートルに位置し、冷たい空気は谷に降りていくため、霜の心配が少ない。茶畑と聞くと、かまぼこ型に刈り込まれた木が並ぶイメージが浮かぶが、それは機械仕立て。極上の茶が生まれる手摘みの茶園は「自然仕立て」と呼ばれ、自由に枝葉を伸ばしており、葉は他のものよりひとまわり以上大きく、艶も良い。



太田氏によると、一番いい茶が収穫できるのは、樹齢約10年の木。出品茶を育てる茶畑は1反ずつ、5年ごとに植え替えてローテーションして行き、常にベストのコンディションの畑があるように工夫している。

畑の畝に足を踏み入れると、まるで高級布団のようにふかふかだ。「足元が温かくないと、木も休めないから」と太田氏。根は、人間でいうと消化吸収を担う胃腸のようなもの。霜が降りれば、土の養分を吸収することができない。それと反対に、「食べ過ぎも禁物」だと言う。化学肥料は即効性があるが、成分が強すぎて根を痛めることがあるため、じっくりと効いていく有機肥料のみを使う。

「自然にはかなわない」が太田氏のモットーで、寒さが訪れる11月になると、ふかふかの干し草の下に、たっぷりの菜種粕や堆肥を入れることを繰り返す。その長年の積み重ねが、複雑な香気と旨味を持つ茶を生む土壌を作り出してきた。干し草は、6月に天竜川沿いの草を刈り込んで数日間干し、ビニールで包んで茶畑の横に置いてある。包むのは、干し草の栄養分が雨と共に流れ出すのを防ぐためだ。
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文=仲山今日子

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