「正解がない」入試記述問題に強い子に育てるとき、『哲学』が効く理由

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永田:たとえば高校3年のときに哲学の授業が義務付けられています。フランスでは「バカロレア」という高校修了認定試験があります。その試験に通らないと大学に進学できない、大学入学資格試験ともいえるものです。そこでも哲学の試験があります。

バカロレア2019年の問題は「時間から逃れることは可能か?」


阪原:どういう問題が出るのですか?

永田:試験時間は4時間ほど。毎年3つくらい問題が出題され、受験者はそこからひとつ選びます。理科系に行きたい人と文化系に行きたい人で問題が違いますが、たとえば文化系の2019年の問題を紹介しましょう。

1番目の問題は「時間から逃れることは可能か?」、2番目は「芸術作品を解釈することはどういう意味があるのか」、3番目はヘーゲルの方の哲学の一節が書かれていて、それに対して「自分の考えを書きなさい」、といったものでした。どの問題を選んだとしても、考え抜き、ロジカルに自分のオリジナルな論を展開することが求められます。いかにさまざまな角度から、深く、ロジカルに考えているか、ということが採点のポイントです。

幼少時から「自分の意見を持つのが当たり前」の国がある


永田:
哲学を取り入れる幼稚園もあります。たとえば、「親というは何の役に立つのか」とか「いじめとは何なのか?」「肌の色が違うとはどういうことなのか?」とか。先生が幼稚園児を円になって座らせて、一人ひとり意見を言わせ、それに対して、子ども同士でも議論をさせます。もちろん哲学の導入は義務ではないので、先生次第ですが。

阪原:フランスでは政治は自分たち市民のものという意識が高いですしね。

永田:そうですね。また、フランス人はそもそも政治の話が好きなんですよね。親から、政治の話をするのがいかに大事かということが伝えられ、子供でも政治への関心が高いです。たとえば、学校の教育システムを変えようなんて改革法案があり、自分たちの授業が減るとなったときに、小学生でも中学生でも反対のためのストライキや街頭デモをしたりします。社会の一員という意識が染み付いている。批判的な思考や多角的なものの見方をすることに慣れているといえます。

阪原:僕の映画の話でいいますと、企画から監督まで行った『AGANAI 地下鉄サリン事件と私』(2021年3月公開予定)の英語副題は、『A MODERN REPORT ON THE BANALITY OF EVIL(悪の陳腐さについての新たな報告)』といいます。この副題はドイツの哲学者ハンナ・アーレントの著書『エルサレムのアイヒマン──悪の陳腐さについての報告』をもじって、香港の映画エージェントが考えてくれました。そのため海外の映画祭に出展すると、自然に哲学の話になります。

そこで気づいたのですが、彼らは哲学の話題を出しながらも、話していることは自分の考えなんですね。それが多くの日本人とは違う気がする。日本人はどこかで学んできた話や、誰かの発言や思想についての話をしますよね。自分の心の中から出てきた言葉じゃない。僕は永田さんのお話を聞いて、このへんが教育の問題なのかなと繋がりました。
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文=阪原淳

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