「それでもプロに入ったときには、しまったと思いましたね。高校でさんざん鍛えたつもりでも、プロは想像以上でしたから」
西武ライオンズに入団、1軍にいて相当厳しい練習をしましたが、思うようにはいきませんでした。そんなとき、転機になったのが、アメリカのマイナーリーグである1Aのサンノゼ・ビーズに留学したこと。そこには日本にはないシビアな環境がありました。
「選手たちは、ひとつひとつのプレーに生活がかかっているんです。勝負に対する闘争心は、それは凄まじかった」
目つきがまったく違う。取り組む姿勢が違う。メジャーリーグに這い上がるための死に物狂いのサバイバル競争を工藤さんは目の当たりにします。
「僕も真剣にやっていたつもりですが、まさにレベルが違いました。野球でメシを食うということの原点がそこにはあった。ここで僕は目が覚めたんです。いいとか悪いとか、そういうものを抜きにして死ぬ気にならないといけないと」
工藤さんのチーム運営に感じられるのは、まさにこのスピリッツではないでしょうか。日本シリーズでも、随所に垣間見られました。選手は必死で走る。グラウンドを叩いて悔しがる。勝利のためにはノーヒットでも投手は交替を受け入れる──。
アメリカ留学で学んだ勝負に対する闘争心が、工藤さんを変えたのです。
上司は仕事だけを見ているわけではない
所属した球団では、横浜を除く3球団で日本シリーズでの優勝を経験。「優勝請負人」とも呼ばれました。監督となってからも、就任5年で日本一を4度達成しています。
しかし、工藤さん自身は、優勝できるかできないかはほんのちょっとの違いだと語っていました。
「強いチームに長くいたら、その環境は当たり前になります。勝つために何が必要か、強いチームとはどんなチームなのか。身体づくりと同じです。高いレベルを経験していれば、違いがわかる。練習でも、ミーティングでも、心構えでも。だから、選手には厳しい指摘をするんです」