コロナ禍で増えるDV 女医が現場で診た被害者の「3つのタイプ」とは

和佐野有紀氏



和佐野有紀氏

──和佐野さんは受診される被害者から、DVにはいくつかの種類があると分析されている

3パターンあると思っている。

1つめは、手を挙げられ傷ついた女性に、手を挙げた男性が付き添い、男性は女性に非常に優しくふるまい、女性は男性をかばい続けるという、互いに何かを演じ、悪い意味での夫婦漫才のような演劇的なものがそこに存在しているパターン。この数は、案外少なくない。

これは、互いに「DVを必要としている関係性」の典型のようなもので、本来ならばDVでない他の絆が好ましいのはもちろんだが、ある意味で互いの感情のバランス、それは必ずしも「負の感情」だけでなく、愛情などの「正の感情」も含んだバランスをとるために、DV的な行為と、それにまつわる社会とのかかわりみたいなものから、何らかの一体感を二人が得ているように感じるパターンだ。

DVにまつわる諸々の手続きをとおして、自分たちをカップルとして相対化する視点を得ているというようにも見える。そして、このパターンは打撲程度のものが多くて、大変な重症を負うことは少ないような印象。介入もそれほど必要ではなく、大騒ぎはしても大事にはならないことが多い気がする。

2つめは、手をあげられ傷ついた女性が一人で受診し、病院を受診していることはもちろん、暴力を受けていることすら必死で隠し、男性なのか、自分自身なのかをかばうパターン。数でいえば、これが一番多いように思う。

また、比較的年齢層の高いご夫婦にも多いのが特徴で、様々な社会的要因がからみあってるようにみえる。

これはDVが構造化されていて、非常に脱出するのは困難で、反復性と継続性があるので互いに悪い意味での「慣れ」のようなものが出てくることもあり厄介だ。

かなりの傷でも受診をしないし、暴力を受けている側がとにかく隠そうとするし、他者の介入を頑なに拒否しようとする。これはもしかすると「恥の文化」のような日本特有の文化面も関与しているのかもしれないとも思う。

3つ目は、傷ついた女性が非常に冷静に一人で受診し、すべてを正直に話すものの、感情的な部分は一切見せないパターン。これは、比較的若年層に多く、冒頭で話した女性もこの類に属すると思う。

これはレイプなどとも通じるところがあるのだが、暴力を振るわれた自分を恥じる気持ちがそのほとんどで、暴力をふるった相手への感情はよくも悪くも枯渇しており、感情自体がフリーズしている関係性である。自分の身体の存在自体に悔いを感じ、もはや淡々と、自分自身を客体化せざるをえない状況。

このような状態から抜け出すのは非常に大変で、他者の介入が実はとても大切になってくる。そして、このパターンは本当に重症を負ってしまうということも伝えておきたい。実際、命が危ないと感じることも少なくない。自らの選択の過ち(過ちではないと私自身は思うが)は、自らで正すことができると伝えてあげながら、支えていくことがとても大事なのではないか。
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文=谷本有香

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