脱物質化する世界
現在でこそ、こうしたかつて「軽薄短小」と揶揄されたようなトレンドが賞賛されているが、戦後の復興時期にはインフラを整備するために、道路や鉄道が引かれ、高層ビルが建ち、宇宙開発やビッグサイエンスに国家予算が投入され、大量の物を作る「重厚長大」産業が経済成長の要として持て囃された。
1960年代には、東京オリンピックで近代化した日本のGNPが世界第二位となり、「大きいことはいいことだ」(森永エールチョコレート)というテレビCMが一世を風靡しており、トランジスターの普及で小型化したラジオやテレビなどは奇異な目で見られていた。
1962年のポータブルテレビ(Photo by Keystone-France/Gamma-Rapho via Getty Images)
エネルギーや重化学工業の分野では、大きくなることでスケールメリットが出て個々の製品の価格も下がり行き渡るメリットが強調されたが、その後の1970年代の石油ショックなどで、ひたすら巨大化肥大化するシステムのムダや融通の利かなさが、逆に社会の足を引っぱっているのではないかという論議が出て来て、「モーレツからビューティフル」(富士ゼロックス)というコピーが流行するようになる。
産業界のトレンドはよく見ると、すべてのことに物質を使わなくなる傾向があり、例えばビールなどの缶は、1950年代に出たときは錫メッキした鉄製で70g以上あったが、70年代にはアルミ製の20gに落ち、現在はその半分へと、初期の重さの5分の1になっている。
自動車や家電などもより軽くなっており、重厚長大に見えるたいていの物も金属からプラスチックなどへと素材を改良して軽量化し、エネルギー効率を高めている。
GDPに寄与する物質の量は減少しており、アメリカでは1840年には単位当たり4㎏の物質が必要だったが、それが1930年には1kgで済むようになり、現在ではさらに急低下しているとされる。いろいろな産業が製造からサービス化することで、まるで身体や重さを持たない亡霊のようなシステムが世界を支配するようになり、その象徴がインターネットと言えなくもない。
コロナの時代には人同士も接触をさけ、オンライン会議や飲み会までが盛んになり、お金も紙や金属のトークンからただの数字になり、はんこや書類も徐々になくなり、すべてが物質を媒介としないデジタル社会がやってくる。若者の物欲が低下してモノが買われなくなり、製造業も影響を受けている。
こうしたデジタル時代を象徴するムーアの法則ほど不思議な法則もないだろう。現在の世界で、2年程度で確実に倍々ゲームが起きるなどというウマい話はなかなかない。この法則は当初からただの幻想で、誰かが競争を止めればすぐに消える! という意見も出されたが、これに負けないよう逆に業界が頑張るという本末転倒な動きさえあり、物理的・論理的に正確に因果性がわからないままそのトレンドは継続している。
業界のパイオニア達も、法則というには論拠が希薄だと信じていなかったが、もしこの法則が絶対的なものだと信じて、それに沿った事業計画や投資を行っていたら、どれだけすごい成功が約束されていたのか、と考えると歴史の不条理さを感じざるをえない。
連載:人々はテレビを必要としないだろう
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