──写真というメディア、表現についてはどう考えますか。
まさに写真の好きなところは、動画に比べて圧倒的に情報量が少なくて分かりづらい中で、表現者の意志や迷いや葛藤が突きつけられるところです。「この時一体、何があったのだろう」と考えたくなる。
ロラン・バルトの写真論『明るい部屋―写真についての覚書』(1980)を読み直したんです。20年くらい前に読んで、線を引いて付箋を貼っていたのですが、振り返ると当時は全くその意味をわかっていなかった。
ロラン・バルトが写真をめぐる経験として使用した対立概念として「ストゥディウム」と「プンクトゥム」があります。一般的、文化的にコード化された写真の見方としての「ストゥディウム」の対立概念として、一般的な概念を揺さぶり破壊するほどの強烈な経験としての「プンクトゥム」に今、共感します。
一見すると意味がわからないけど、深く心に引っかかるものがある。写真はそんな経験を生むメディアだと思います。
もう一つ、写真の可能性があるとしたらまさにコレクティブ性。誰もがインスタグラムで写真をシェアする1億総カメラマン時代、技術的にも長けたスーパー個人が跋扈する時代であり、1枚の美しい写真をお金に変えることが極めて難しい時代に、写真家として生きていくのはすごく大変なことなのかもしれません。
でも、編集者やライター、デザイナー、アートディレクターとの共同作業や対話の中で表現がブラッシュアップされていくという、コレクティブ的な価値を生み出せるのが、写真家という仕事や、写真という表現の面白いところではないでしょうか。メディアとしての写真は生き残るし、職業写真家としての未来はあると思う。
コロナ禍で改めて感じたこととしては、自ら考えて手を動かすことと、受け手に考える余白を生み出すことへの渇望です。インプットも、アウトプットも含めて、改めて「主体的に生きたい」と、今は強く思います。
九法崇雄◎KESIKI.INC Partner, Narrative / Community。一橋大学商学部卒業後、NTTコミュニケーションズを経て、編集者に。「PRESIDENT」副編集長、「Forbes JAPAN」編集次長兼ウェブ編集長、「WORK MILL」エディトリアル・ディレクターなどを務め、国内外の起業家やクリエイターを数多く取材。2019年、デザインディレクターの石川俊祐らとKESIKI設立。カルチャーを軸として企業や官公庁のブランディングやイノベーションを支援するほか、「WWD JAPAN」エディトリアル・アドバイザー、東京都青山スタートアップアクセラレーションセンター・メンターなどとしても活動。