──そうですよね。いずれのポイントもすごく納得で、写真という、もはや誰にでもできる手段を生業にする者として痛感するところばかりです。やはりそういう立場にいると、写真家として「なぜ」「何を」「どのように撮影するのか」を考え、自分が本当にやるべきことに向き合わないと、人と違うものを生み出せないと感じます。
コロナによる緊急事態宣言下では、仕事がすっからかんになったこともありますが、突き動かされるように夜の街を撮影していました。
緊急事態宣言下の夜の飲食店街を撮影した作品
僕は小田君の活動を見て「とにかく何か撮らなきゃ」と衝動的に撮り始めた感じがすごくいいと思いました。僕も作り手側にいるので、アートや作品を作った人がどう世の中と対峙しているかを考えるのが好きです。つくり手や表現者としての悩みや迷い、葛藤こそが人を惹きつける。
メディアやジャーナリズムがより目的的にコンテンツを生み出すようになっている一方で、「何かつくらなきゃ」「伝えなきゃ」とつくり始める衝動はすごく貴重で重要なことです。小田君が衝動に突き動かされて、迷いながらも撮り続けたところに共感しました。
飲食店の人たちに撮影協力してもらい、クラウドファンディングで支援を募って、クリエイターやデザイナーたちの協力を得て写真集という形にしている。
写真集『Night Order』
何かを成し遂げたいという意志が人を巻き込み、突き動かし、コレクティブをつくる。「面」的な、まとまりとしてのメディアやコンテンツが減っているからこそ、そんなコレクティブ的なアプローチに可能性を感じます。
「余白」を持ったコンテンツこそ、面白い
僕にとっては雑誌が兄貴的な存在で、若い頃からライフスタイル誌やカルチャー誌を読んでいました。雑誌ごとに一つひとつの人格があって、当時、僕が好きだった雑誌が紹介する音楽や映画、文学、ファッション、イシューなら信頼できるなと思ったんですよね。
今、雑誌に代わってその役割を担っているのがインフルエンサーという存在なのかもしれません。「スーパー個人」が好きな音楽やお店など、自身の身の回りのものを紹介していますが、たくさんの人が携わって一つの世界観を提示するコレクティブ性は薄れていますね。
小田君の写真集だけでは、打撃を受けた夜の飲食店を救うことはできない。ただ僕たちはこの写真集を通して、世界をどう見ていくべきか、どう動くべきかを考える。手にした人にそんなきっかけを生み出すことが、この写真集の価値だと思います。
すべてをこれで解決できる、という最短距離的な情報が増えているからこそ、人に考え行動することを促す端緒として、余白を持って伝えられるコンテンツこそ、今、必要なのだと思います。