二つ目は、コンテンツの消費の仕方が面から線、線から点的に変化しているということです。
僕は経済誌の編集に携わってきました。雑誌は伝えたいことを伝えるために、写真を使ったグラビア的なアプローチで人物の物語を描いたり、ルポ的なノンフィクションで描いたり、あるいは図解や年表で整理して伝えたりなど、一つの題材・テーマについていろんな人たちがそれぞれの視点や表現で多面的に携わってきました。「面」的な伝え方と言えます。
かつては面的なコンテンツの消費が確立していましたが、近年は紙媒体の衰退とともに面的なアプローチが減ってきて、コンテンツが分散的に消費されるようになりました。ネットでは一つのお題に対して一本の記事といった一面的なコンテンツによる、「線」的な伝え方が主流です。伝え方のバリエーションが減っているとも言えます。
そして今、コンテンツの消費はより線から「点」的になっていると感じています。1本のウェブ記事の面白いところや、一つの発言が切り出されてSNSによって拡散される。作り手の意図したコンテクストが解体されて、勝手に消費されていく。
そうした動きの便利な面、おもしろい面もあるのですが、雑誌づくりをしていた編集者としては、「面」的なコミュニケーションはまだまだ諦めたくないですね。
気軽に、心地よく読めるだけでいいんだっけ?
三つ目は、コンテンツの価値の捉え方です。ウェブが主戦場になり、PVや読了率で価値判断されることにより、「速い」「短い」「わかりやすい」コンテンツの価値がより高まってきています。より速報性が高く、短時間で読了でき、ポイントを押さえて効率的に情報を得られるコンテンツが重宝されるようになりました。
ある種、行き過ぎた「顧客志向」と重なります。メディアやコンテンツのつくり手、書き手、取材者自身の意志が弱くなっていく一方で、数字を見ながら「読み手が欲しいもの」を生み出す人がどんどん多数派になっていく傾向は危惧しています。
みんながいつでも気軽に発信できて、読み手が欲しい時に欲しい情報を得られるのは一般論としてはとてもいいことです。一方で、それを生業としてきたメディアの人たちは「本当は何を伝えたらいいんだろう」と悩み続けてきた。僕自身、悩み考えてきましたね。
気軽に、心地よく読めるだけでいいんだっけ? 読み終わった後、悶々として考え続ける。読み手にそんな思いを惹起させるようなコンテンツも必要なのではないか、と。
きっと今足りなくなってきているのは、つくり手の意志。つくり手の意志と顧客志向の良いバランスの先に、世の中に良い波紋を投じることができるのだと思います。