興味深いのは、こうしたプロフィールにもかかわらず、カマラ・ハリスは複数のルーツを持つというより、黒人であるというイメージがアメリカ国内で「固定」されている点である。
広く知られるようにアメリカは移民国家であり、ハリスが育ったカリフォルニアや、筆者が暮らすニューヨークなどの国内の大都市は、メルティング・ポット(人種のるつぼ)といった言葉で表現される。しかしこと黒人に限って、その社会的な位置づけは、多様性が求められるいまの時代において古色蒼然とした印象を受ける。
「多様性の標本」のごとき米国だが、ミックスの分類の認知度は低い?
その背景に、「ワンドロップ・ルール」という規範があるのを見逃してはならない。黒人の血が少しでも入っていれば、当該人物を黒人と見なすこの法的規定は、先の多様性を否定するという専門家の意見もある。ニューヨーク州立大ストーニー・ブルックス校のクリスタル・マリイ・フレミング教授は、国際社会のなかでもアメリカが特異な位置にいると指摘する。
「ワンドロップ・ルールを理解する上で重要な点のひとつは、現在アフリカにルーツを持つ人間に関して、合衆国は浮いた存在となっていることだ」
さらに同教授によれば、「ラテン諸国を始め世界の多くの地域の人々が、黒人と白人をまたがる、そして異人種間のミックスの分類の認知度は(アメリカよりも)高い」と示している。
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こうした意見にふれて感じるのは、黒人としてある人をカテゴライズするとき、そのほとんどが本人以外に主導権が渡っているということだ。たとえ法律という枠によってでも、他者がその人物が何者かを決定することに変わらない。
しかし、人間はそれほど単純ではない。ましてやいまは国を越え、文化や宗教を越え、交流する可能性や機会が格段に増えた時代である。旧来のモノサシで他人のアイデンティティを決めるのは無理が生じるし、窮屈さを覚えるのは当事者だけではないだろう。
異なるバックグランドの人間同士による交流の活発化とともに、現在のアメリカ社会で生きていく上で、多数の市民が「個」をこれまで以上に意識するようになったとも考えられる。
つまりアメリカ人という大枠に属しつつも、一人ひとりが別の、ときには複数のグループに身を置き、アイデンティティを分散することで個別化をはかり、自分が何者であるかをより鮮明にさせる試み、とも言える。