情報をフィルタリングする
ささいなことに気をとられすぎると、大局を見失う。仕事や生き方でも同じだ。何をするときにも、すぐれたジャーナリストのように、本質を見抜く目を持たなくてはならない。
要点に目を向ける訓練をすると、これまで見えなかったものが見えてくる。点の集まりではなく、点同士をつなげる線に気づくことができる。単なる事実に反応するかわりに、その本当の意味を見抜くことが可能になるのだ。
日々出会う情報はあまりに膨大で、とてもすべてを調べることはできない。吟味すべき情報を見分けるためには、どんどん飛び込んでくる情報や選択肢をフィルタリングするしくみが必要だ。
先日、有名ジャーナリストのトーマス・フリードマンに会い、不要なノイズの中から本質を見抜く方法について話し合った。彼はそのとき、ニューヨーク・タイムズ紙に連載しているコラムのためのランチミーティングを終えてきたところだった。ランチの場にいたある人は、フリードマンの様子を見て、どうも上の空なのではないかと訝しんだらしい。
だが、彼はしっかり耳を傾けていた。すべての会話を把握しつつ、本当に興味深い話題を待っていたのだ。いったんおもしろい話題が出てくると、彼は次々と質問し、ストーリーの本質に深く踏み込んでいった。
すぐれたジャーナリストは、普通の人には聞こえないものを聞くことができる、とフリードマンは言う。ランチミーティングで彼が本当に聞いていたのは、語られる内容ではなかった。語られなかったことに、耳を傾けていたのだ。
多数の些末な物事の中から重要なひと握りだけを選び取ることのできる「エッセンシャル思考」の人は、目と耳がいい。すべてに注意を向けることが不可能だと知っているので、話の空白を聞き、行間を読む。
映画『ハリー・ポッター』シリーズのハーマイオニーは、それをこう言い表している。
「私ってすごく論理的なのよ。だから無関係な細部に気をとられないで、みんなが見過ごすものを見抜けるの」
あらゆる雑多なことに追われている「非エッセンシャル思考」の人は、耳を傾けてはいるけれど、いつも何かを言う準備をしている。無関係な細部に気をとられ、瑣末な情報にこだわってしまう。声の大きい意見は聞こえるが、その意味を取り違える。自分がコメントすることばかり考えていて、話の本質がつかめない。その結果、彼らは大筋を見失う。作家C・S・ルイスに言わせれば、「洪水の最中に消火器を振りまわす」状態になるのである。