連載4回目の今回は、起業家、コレクターとして活躍するユリ・ユリーカが、アーティストコレクティブ「Chim↑Pom」の卯城竜太に、彼、彼女たちの作品が生まれるまでのストーリーや、アートが担う役割を聞いた。
──Chim↑Pomは海外での展覧会が中心ですが、私は日本のアートシーンに多大な貢献をしてきた存在だと思っています。ネズミの剥製《スーパーラット》から、新宿の建物を解体した『また明日も観てくれるかな?』まで作品は多岐に渡りますが、改めてどうChim↑Pomが結成されたかをお教えください。
Chim↑Pomとしての活動は、2005年頃から始まりました。元々は「ふつう研究所」という30人くらいの集団があって、そこから派生しました。
美術家の会田誠さんや、無人島プロダクションのディレクターの藤城さんなどもいましたが、ほとんどはニート同然の若者たちでした。その中から最終的にグループになったのが、Chim↑Pomという6人組のアーティストコレクティブです。
──そんな6人組がChim↑Pomという名前になったのはなぜでしょうか?
メンバーのエリイが思いついたのですが、しばらくして彼女は名付け親だという事を忘れ、改名したいと言い始めたんです。
誰も反対しませんでしたが、でもその頃にはすでに、僕たちの名前は定着し始めていました。
それからすぐにプロジェクトは物議を醸すようになり、Chim↑Pomという名前は挑発的なニュアンスをもたれて流通していました。
──Chim↑Pomは、アートにどうアプローチしているのでしょうか。多くの芸術家は美術学校でアートに対する考え方を確立しているように思います。
メンバーの中で美大を卒業したのはエリイだけです。
僕は大学へ通っていませんが、本屋で会田誠さんの本を読んで以来、美術への情熱は抱いていました。
Chim↑Pomのメンバーほとんどが絵画や立体制作を専門的に学んでいなかったので、活動は安物のビデオカメラを買って街に繰り出すことから始めました。
専門的な技術がなくても、自由に使える自分たちの体と時間があった。こうして、自分たちのパフォーマンス映像を撮り始めました。
中でも特異な作品が、《ERIGERO(エリゲロ)》という映像作品です。