アメリカでは19世紀後半まで黒人は奴隷として人権が認められていなかった。根深い黒人差別が生まれる背景を知るには彼らの奴隷としてのルーツが深く関わる。
「The Autobiography of Miss Jane Pittman」(邦題:ミス・ジェーン・ピットマン)は、奴隷として生まれ、不条理な世に翻弄されながらも力強く生きる、一人の黒人女性を描いた作品だ。アーネスト・J・ゲインズが自身の大叔母をモデルとした小説で、1974年にはテレビ映画化された。映画はアメリカのテレビ番組において初めて黒人の視点でアメリカの歴史を扱った作品のひとつとも言われ、同年のエミー賞で9つの賞を受賞するなど高く評価された。
ミス・ジェーンの淡々とした語りは、搾取と不当な抑圧により、常に国から生命を脅かされてきた者たちの歴史そのものだ。奴隷として生まれ、激動の公民権運動時代までを生きた彼女の視点からアメリカにおける黒人の歴史を見ていこう。
物語は1962年、110歳の誕生日を迎えたミス・ジェーン・ピットマンの語りで展開される。時代は公民権法成立前夜。アメリカ各地で公民権運動が行われる中、ジェーンは孫のように可愛がる青年ジミーから、街での運動のシンボルになってほしいと頼まれる。「黒人の少女が裁判所の白人用水飲み場で水を飲む」という運動に立ち会ってほしいと言うのだ。ジェーンはこれを断り、物語は1863年、南北戦争からの彼女の回想に切り替わる。
黒人奴隷は物的財産
タバコや綿花などのプランテーションを産業の基盤とする南部の白人たちは、17世紀後半から主な労働力として黒人を奴隷として扱っていた。
当時黒人奴隷たちは白人家庭の「所有物」とされており、アメリカ各州では奴隷法が定められていたという。例えばヴァージニア州では、自身の領土内の黒人及びムラート、インディアンの奴隷は、物的財産(real estate)であると1705年に定められている。また、奴隷に対する身体的懲罰や、反抗の兆候を見せたら殺害することは、最初のアフリカ系黒人がアメリカに渡って来た17世紀から州法によって認められていた。
ジェーンの回想は、こうした法の下、幼い彼女が「奴隷少女」として白人の一家に仕えていた頃から始まる。