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2020.06.17

ビットコイン、起業、アートの共通点は「売り切れがない」こと。|トップリーダー X 芥川賞作家対談 第5回(後編)


1分で美術史を説明すると──


上田:施井さんに聞きたかったことがあるんです。バスキア(ジャン=ミシェル・バスキア。グラフィティ・アートで知られるアメリカの画家で、ハイチ系アメリカ人。アンディ・ウォーホルとも親交があった。1988年没)ってどうですか?

施井:1分で美術史の話をするなら、近代美術は「自立の時代」、音楽とか建築とか文学ではなく「絵画」でしかできないものは何かを問うていた時代でした。だから文字を絵画に描かなかった。それは「文学の領域」だから。さらに、空間を描かないとか、物語を描かないとかで、だんだん最後は美術で問うのは色彩と平面性だけになってきて抽象表現主義に行き着くと。そのようにいわゆる他の表現領域から「自立しているのが良いアートだ」、と評価したのが近代美術の正統と言われていた軸なんです。

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ジャン=ミシェル・バスキアの作品

その近代が終焉を迎える頃にバスキアは出てきました。彼の絵には、近代で閉じ込められたものが全部解放されています。演劇、音楽、文字など、ほかの領域の表現や記号をたくさん入れているんです。

かつ、近代美術は白人中心主義的で、アジア人を含んだ有色人種のアートなど、ほぼ無視されているほどでした。その中で黒人が、近代美術を全否定するかのような、完全な反発をしているという意味で、バスキアは歴史的に重要なアーティストであると思います。

表現することの「恥ずかしさ」とは何か


施井:上田さんの作品『ニムロッド』で面白いなと思ったのが、作中作があって、入れ子構造になっている点。タイトルにも作中人物の名前が入れ子になっていますし。そして、仮想通貨というテーマが、文学に近い形で書かれているようで、実は書かれていない。

上田:文章で説明的に書くのがなんだか恥ずかしいんです。だから、「周辺を書く」ことで表現するしかない。構造で示すようなイメージですね。

施井:小説は子供のころから書いてましたか?

上田:小説という形ではないですが、創作はしていました。作り話とか。適当な話をしたり、嘘をついたり(笑)。
 
施井:きっと人に物語を伝えることに喜びがあるんですね。でも、いざ「小説のフォーマットで」表現するとなると、ちょっと恥ずかしいのかもしれない。
僕の場合は、作ったものを見せるのがとにかく恥ずかしくて、弟にしか見せられなかったんです。弟は否定しないし、いつも僕の作るものを楽しみにしていてくれたんです。デリケートで、ネガティブな評価をされたらやめちゃうような性格だったんで、弟にしか見せない期間が5~6年はありました。
それが美大に入ると、作品に客観性が出てくるにつれて、人に見せるのが恥ずかしくなくなるんですよ。実は表現の中での恥ずかしさ、「見せたくない」という気持ちは、「表現としてこれでいいんだろうか」という逡巡が露わになっている瞬間なのかなと思ったり。それから、「飽きない」ものを作ろうとすると、文学的に、アーティスティックになってくると思います。

上田:恥ずかしさって、結局、「絶望したくない」気持ちだと思うんですよね。自分の能力なのか、表現形態なのかわからないですけれど、とにかく限界に行きつきたくないというのが根本的にあると思います。
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文・構成=石井節子 写真=帆足宗洋 サムネイルデザイン=高田尚弥

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