私が心理療法を行う事務所で扱う問題のうち、特に一般的な問題の一つが考え過ぎだ。診療を受けに来た人から「リラックスできないのです。頭が考えるのをやめません」や「もっと違うやり方をしていれば、自分の人生はどれほど良くなったかと考えるのをやめられません」と言われることが多いのだ。
考え過ぎる行為は、不安症や鬱(うつ)などの心理学的な病気と関連している可能性があるが、各個人の中でどちらが先に起きるのかを見極めることは難しい。「鶏が先か卵が先か」といった謎と同じなのだ。
どちらにせよ、考え過ぎが原因で心の健康が低下してしまいかねないのは明らかだ。心の健康が損なわれると、それまでにも増して考え過ぎるようになり悪循環だ。
しかし、考え過ぎている最中にそのことを認識するのは難しい。物事について思いを巡らし心配することが、どういうわけか役に立つと思い込むことは簡単だからだ。
結局のところ、物事について考えることなくより良い解決策を編み出すことはできないはずだ。過ちを繰り返さないためには、そのことについて考え続けなければならないと思っているのではないだろうか? その答えは、あなたが考えているほど明白ではない。
「分析まひ」は実際に存在する。問題について考えれば考えるほど気分が悪くなってしまい、気分が悪くなれば感情によって判断が鈍る可能性があり、前向きな行動が取りづらくなってしまう。
考え過ぎの2つの種類
考え過ぎでは、過去のことに思いを巡らしたり未来のことを心配したりすることが多い。
これは、健全な問題解決とは異なるものだ。問題解決では、必要な場合は難しい状況について考えることが必要だが、考え過ぎは問題にこだわるため、そこから離れない。
考え過ぎは内省とも違う。内省は目の前の状況における自分自身について学び、視点を得ることができて、しっかりとした目的を持つ。しかし考え過ぎは、自分がコントロールできないあらゆることについて考えて、それについてどれほど悔やまれるかをくよくよと考えることだ。これでは、その状況に関して見識を得ることはできない。
しかし、深く考えて過ごす時間の長さはあまり重要ではない。過去の行動から学び、創造的な解決策を編み出すことに時間を使ったのであればそれは生産的なことで、どれほど長い間だったかは関係ない。しかし、考え過ぎて過ごした時間では人生は全く良くならない。それが10分でも10時間でも同じことだ。