「社会全体の価値観が鋭く問われる局面」であるこの時代、さらには「ポスト・コロナ」とも「withコロナ」ともいわれるこれからの世界について、工学博士であり歌人でもある東京大学教授の坂井修一氏にご寄稿いただいた。
14世紀、モンゴル帝国がユーラシア大陸の大部分を支配していたころ、その軍隊はペスト(黒死病)を世界各地にもたらした。ヨーロッパでは30%から60%の人口が死に絶えたといわれる。このように、感染症とグローバリゼーションは、大昔から深い関係にある。新型コロナウィルスは、その21世紀版なのだ。
ペスト禍から670年。われわれの文明はケタ違いに進歩した。産業革命による機械化。抗生物質による医療。そして情報革命。人類は、あらゆる災厄──自然のもたらすものも、人為で起こるものも──を乗り越える道具を手にしている。いつしかわれわれは、そんなふうに考え始めていたのではないか。
文明進化とともに、天然災害は激烈に……
寺田寅彦は、「文明が進めば進むほど天然の暴威による災害がその劇烈の度を増す」(「天災と国防」)と喝破した。武漢の風土病だったコロナ禍が地球規模の脅威となるなど、まさにこの類である。地球温暖化による台風の猛威は、もう一つの例となろう。これらに共通するのは、人間が自然に大きな変化をもたらし、この変化が人間界にはねかえって巨大な災厄をもたらしていることである。これは寅彦の時代には無かったことだ。
新型コロナウィルスを調伏するのは、最終的にはワクチンや治療薬だろう。それまでは、感染を抑えるための社会的努力が必要になる。民主主義の世界で個人の主権を尊重しながら、「自粛」や「隔離」を実現しなければならない。ひとりひとりの患者への対応だけでなく、社会全体の価値観が鋭く問われる局面である。
技術で解決できることは技術で、政治で解決できることは政治で解決するのが良い。情報技術の進歩によって、テレワークや遠隔医療が可能になる。新しい医学によって、ワクチン開発の時間が短くなる。計量政治学的な手法によって、コストを抑えながら被害を最小限に食い止められるようになる。これらは、たしかにその通りである。いっぽうで、コロナ禍などに対して人間社会や個人の耐性を高めるには、これらとは別の課題もある。