新型コロナで問われる「欲望の制御法」。ペスト禍から670年

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「欲望を和らげること」が課題


ごく平たい言い方をすれば、それは、われわれの欲望をじょうずに制御することではないかと思う。おいしい食べ物を食べたい。好みの異性といっしょにいたい。外に出て自由に遊び回りたい。財や地位がほしい。もっと社会的に承認されたい。これらの欲望は、誰もがもっている。しかし、皆が皆これらを求めすぎると、世界は破裂してしまうだろう。感染症の終息とは逆方向に行ってしまう。

ここで、最近流行の「持続可能性(sustainability)」と「包摂性(inclusiveness)」という言葉が出て来る。資源・環境・食料などを枯渇させないこと、そしてあらゆる人々が排除されずに支えあっていることが、文明を持続させるために必須である、そういう考え方である。

もちろん、これは正しいし、トップダウンの政治が必要という考えにも私は同意する。一方で、トップダウンはほんとうの解決をもたらさないとも思う。第一に、人々は政治を信用していない。第二に、全体と個のバランスをしっかりと考えられる人は限られている。多くの人々は、与えられた境界条件のもと、個別に最大の利ザヤをかせごうとする。あさましいことだが、それが真実だ。

「われわれ自身の正体を知る」こと


まずは、そうしたわれわれ自身の正体を知ることである。いくら進んだ文明をもっているとはいえ、われわれは動物であり、ケダモノである。さまざまな生の欲望から逃れられるものではない。恥ずかしい、さびしい、哀れな生き物なのである。

そう。人間は、欲望を捨て去ることはできない。そうではなく、欲望を和らげることだ。文化芸術はそのためにある。特にこれからの時代、大衆文化の果たす役割は大きなものがあろう。今、この分野の多くが大小さまざまなIT企業の手にある。このことは、よくよく頭に入れておかなければならないだろう。

数カ月でコロナ禍がおさまるのか。1年かかるか。もっとかかるか。今はなんとも言えないが、その日は必ず来るだろう。ペスト禍と天災によって衰退したモンゴル帝国の時代とは違い、グローバリゼーションは再び加速する。やがてまた新しい感染症が世界を席巻するかもしれないし、温暖化や震災でわれわれは壊滅的な被害を受けるかもしれない。

自らの愚かさを知り、欲望の制御法を体得しながら、新しい繁栄の道を探ること。われわれはこれからも失敗と挫折を繰り返すだろうが、致命的な失敗をしないかぎり、未来を思い、新しい世界の実装を試みることはできる。



坂井修一◎工学博士。電子技術総合研究所、マサチューセッツ工科大学、筑波大学などを経て、東京大学大学院情報理工学系研究科教授。専門はコンピュータシステムとその応用。「かりん」編集委員。『実践 コンピュータアーキテクチャ』(コロナ社、改訂版2020年刊)、『論理回路入門』(培風館、2003年刊)、歌集『ラビュリントスの日々』(1986年、現代歌人協会賞)、『ジャックの種子』(短歌研究社、1999年刊、寺山修司短歌賞)、『望楼の春』(角川書店、2009年刊、迢空賞)など著書多数。

文=坂井 修一

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