「母の呪縛」から「女性性の解放」へ バレリーナの戦いの軌跡

ナタリー・ポートマン(Alberto E. Rodriguez/Getty Images for AFI)

この1カ月の間に耳タコとなった「自粛要請」。この言葉の矛盾を指摘する声は、かなり前からネットに見られる。「自粛」は自ら慎むこと。「要請」は相手への要求。相反する意味が一つの単語に無理やり接続されているのだ。

要請ではなく命令にしてしまうと、さまざまな方面から反発を招きやすい。それでこうした懐柔的な言葉づかいが生まれるのだろう。

一般的に、矛盾するメッセージを受け取った人の中に生まれる二律背反は、人を混乱させ悩ませる。普通はそれを何とか統合して自分の中で辻褄を合わせるが、二律背反を深く受け止めた場合は心を病むこともある。

ナタリー・ポートマンがアカデミー主演女優賞を始め数々の賞に輝いた『ブラック・スワン』(ダーレン・アロノフスキー監督、2010)も、この二律背反がドラマの中核となっている。

現実と幻覚が徐々に混ざり合っていくプロセスはサイコ・スリラー風に描かれ、過度のストレスによる人格崩壊から悲劇に至る物語との見方もあるが、それはうわべを捉えたものだ。これは、一人の女性が内なる二律背反を克服するため自分自身と戦う「心の物語」である。だからヒロインの現実と心的現実(幻覚)が同じリアリティで描かれているのだ。ここでは、ヒロインの心的現実に重点を置いて振り返ってみたい。

清楚な娘を管理する「毒母」


ニューヨークの一流バレエ団に所属し、生活の全てをバレエに捧げているニナ(ナタリー・ポートマン)。ある時、レッスンを見にきた演出家のトマ(ヴァンサン・カッセル)が団員たちに「白鳥と黒鳥、両方踊れる者を求めている」と告げる。

『白鳥の湖』は、悪魔によって白鳥に変えられ夜だけ人間の姿に戻るオデットと王子が恋に落ちるが、悪魔が差し向けた黒鳥オディールに王子は誘惑され、最後はオデットと王子が共に死ぬというドラマ。別バージョンで、王子の心変わりに絶望したオデットだけが身投げする悲劇、あるいは愛の力で呪いが解け二人は結ばれるというハッピーエンドも、よく採択されている。

白鳥と黒鳥を一人二役で踊るケースも珍しくない。清純で善良な女・白鳥と官能的で邪悪な女・黒鳥という二律背反を演じきるのは、バレリーナにとっては挑戦しがいのある仕事だろう。

この大きなチャンスを掴もうとするニナだが、自分が完璧に踊れるのは白鳥だけという事実を早々に突きつけられる。そもそも彼女自身がオデットのようなキャラクターだ。少女趣味で統一されたピンクのベッドルームに、たくさんのぬいぐるみ。着ているコートも淡いピンク。清楚ではあるが、大人の女の成熟感からは程遠い。

共に暮らし心身を管理するのは、元バレリーナの母親(バーバラ・ハーシー)。毎日細々とニナの世話を焼き、真綿で包むような支配力を見せる彼女は、端的に言って「毒母」である。毒母は自分の果たせなかった夢を娘に託すが、娘が自分から自立し「女」となることは許さない。
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文=大野 左紀子

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