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志村けんの訃報に接し、瞬時に蘇ったある女性の記憶━━。彼女はザ・ドリフターズをこよなく愛するアメリカ人だった。

毎日新聞社でジュネーブ支局長、パリ支局長、学芸部長、英文毎日局長などを歴任後、「AFPBB News」編集顧問も務めたジャーナリストの伊藤延司氏にご寄稿いただいた。


志村けんを愛した「ゴーモンさん」

志村けんと聞くと、必ず浮かぶ顔がある。名前は確か「ゴーモン」さんだったと思う。

僕は昭和天皇が亡くなる直前の1988年10月から92年11月までほぼ4年間、毎日新聞社で英文局長をしていた。ゴーモンさんは、そのころ知り合ったアメリカ人女性だった。時代が昭和から平成に変わったころだから、30年以上も前の話である。

英文局は英字日刊紙の「マイニチ・デイリーニューズ」(現在は電子版)や、英語学習週刊紙の「マイニチ・ウィークリー」を発行する毎日新聞社内の独立事業体だが、1988年(昭和63年)9月に天皇崩御の社説予定稿を、フライングで誤掲載するという大失態を演じたり、数年前には「Wai Wai」というコラムの下品で下劣な記事が読者の袋叩きにあうなど、不名誉なイメージに汚れたメディアに成り下がってしまった。

僕は社説の誤掲載問題で更迭された局長の後を引き継いだ。偶然の役回りだが、昭和最後で平成最初の英文局長になったのである。そんな僕が手始めに試みたのは、外国人コントリビュータ(寄稿者)の入れ替えだった。

ゴーモンさんは新しい寄稿者の一人だったのである。初対面の印象は、「下町の肝っ玉母さん」だった。

PTAからのお達し「『8時だよ!全員集合』を子どもに見せるな」

彼女が最初に言ったのが「局長さんはドリフが好きですか?」だった。それが見事な下町ことばだったのである。

引っ詰めの髪といい、アメリカ人にしては小柄で小太りの体形といい、下町のおかみさんという形容がぴったりの人だった。

彼女には世田谷の小学校に通う男の子がいて、PTAの役員をしていると言った。なぜPTAの役員になったのか、その理由が痛快だったのである。

息子が地元の小学校に上がった時から、腹立たしかったのはドリフターズの「8時だよ!全員集合」を子どもに見せるな、という学校とPTAからのお達しだったという。

文=伊藤延司

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