経済・社会

2020.03.11 06:00

福島第一原発の現在地。震災から9年、まだ4万人が家に帰れない

督 あかり
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ゴールは見えない、3.11はまだ続く


政府と東電が事故収束の工程をまとめた「中長期ロードマップ」は、11年12月の策定時には原子炉建屋などの施設の解体が明記されていたが、今はこの文言が消えている。

一方で、19年12月に改正された最新版では、「廃炉」の完了時期を事故発生から30~40年後と維持した。「廃炉」の最終的なイメージがあやふやなまま、ただ完了時期の目標だけが掲げられてしまっている。ゴールはまだ遠く、誰の目にも見えない状況が続いているのだ。
 
2月に入り、福島第一原発では新型コロナウイルスによる思わぬ影響が出てきた。白い防護服が足りず、市販のレインコートで代用する事態となっている。また現場で働く人に感染者が出た場合、事故収束作業が滞ってしまう恐れがあるため、体温管理の徹底や国内外の出張禁止などの対策が講じられている。現地視察も中断となり、東電が事故収束の状況を伝えるための施設「廃炉資料館」(富岡町)も休館となっている。3.11から9年という節目は、昨年までとは違ったものになっている。
 
福島第一原発の今を知る場合、原発で何が行われているかだけではなく、原発事故で被災した地域の現状を知ることがいちばんの近道だと思い、ここまで書いてきた。十分に書き切れなかったが、より詳しく知りたい方は、東京新聞原発取材班のサイト「原発のない国へ」を参考にしてほしい。毎週水曜に東京新聞朝刊に掲載する記事を全て無料で公開している。また、取材班のTwitter(@kochigen2017)では随時、原発の状況や被災地の様子を写真や動画で紹介している。
 
最後に、私自身の3.11を振り返りたい。東日本大震災発生当時、私は出張先だった岩手・盛岡市にいて、翌日から津波で被害を受けた沿岸部の取材を続けた。岩手・宮古市内でラジオから流れた原発の爆発を伝えるニュースを聴きながら、「東京に帰れないのかも」と頭によぎったことだけを鮮明に覚えている。

あれから9年、いま原発取材をしているとは夢にも思わなかった。「原発はいらない」「いや必要だ」。意見はいろいろある。ただ私は、被災地の今と事故収束作業を伝えていくだけだ。3.11を伝え続ける先に、揺るぎない答えがあると確信している。 

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福島第一原発3号機原子炉建屋前に立つ作業員たち。白い防護服と顔全体を覆う全面マスク姿が、現場の放射線量の高さを物語る

文、写真=小川慎一

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