就任後、中曽根は初の日米首脳会談のため渡米する。先立って行われたメディアとの朝食会では日米安全保障の持論を展開。その発言の中に「不沈空母」という言葉があった。これはその後ひとり歩きし国内で多くの非難を浴びた。冷戦真っ只中の折、米とともに再び軍国主義に戻るのかと。ところが、中曽根は「あれは通訳の意訳だ」と釈明した。当時、同行した通訳は村松増美という方で、日本で最高の通訳者と言われた一人だった。
通訳者の矜持。訳すとは何か。あまりに重い言葉の責任
日本の通訳は、明治以後、国際社会との共存にいたる過程で必要に応じて外国語の堪能な人を立てて行っていた。第二次大戦後には多くの人材が学び活躍。上述の村松をはじめ、何人もの通訳者が国際舞台で活躍し、今に至る歴史がある。
日米首脳会談に話を戻そう。中曽根の訪米に同行していた通訳者村松はこの朝食会にも参加し通訳を務めていた。中曽根が意訳と言った不沈空母は、彼の訳が起点となったのだ。
中曽根は「そういった趣旨は言ったかもしれないが───」と、帰国後も意訳の認識だった。それから長い年月が経ち2017年、公文書の公開により明らかになったのは、やはり言っていたという事実だった。厳密に言えば、言葉は村松の訳を受けた米メディアから出たもので、日から英、英から日の意訳の中で不沈空母となった。
ただ、当の村松は、一切弁明しなかったという。村松は日本初の通訳エージェント会社サイマル・インターナショナルの初代代表でもあった。現・代表取締役社長の林純一は言う。
サイマル・インターナショナル代表取締役社長 林純一
「残念ながら、公文書の公開を待たずして村松は亡くなりました。当時、並ぶ者はいないと言われたほどの通訳者だった村松は、政府の仕事を、国の仕事を、慎重に考え、正確に、心血を注いでいました。それは今でも続く私たちの矜持です。今でも大臣につくような通訳者は、命をかけてやっているといっていい」
通訳は格闘技だ──。
命をかける。その言葉に妙に納得した。それは同時通訳者が持つマグマのような熱さを筆者は見たからだ。
今回、サイマル・インターナショナルに話をお聞きするきっかけとなった、あるカンファレンスでのことだ。多くのビジネスパーソンが知っているであろう同時通訳者専用のあの小さなブース。2人組の同時通訳者は、代わるがわるこなすうち、席から身を乗り出すほどに身振り手振りは大きくなり、一瞬、思考し、そしてまた訳を始める。ペットボトルの水は通訳者の口をわずかに潤すも訳は止まらない。ゆっくり席に座っているイメージは初見から無い。その姿は、アスリート?いや、何かと戦っているようにも見えるものだった。
サイマル・インターナショナル通訳事業部ジェネラルマネージャー林聖子は言う。
「今、日本では国際会議の同時通訳ができる人はトップクラスで200名ほどしかいません。その中でも首脳級になると一言もミスが許されないので数えるほどです。そこを目指して勉強する人も含め、5000人というところでしょう」
なるほど、上級クラスの実力の方々でも、あのアクション。脳の言語野は常にレッドゾーンというイメージだ。長時間それをこなす様は、まるで一定の距離を何回も走る有酸素運動の最悪のトレーニング、シャトルランのようでもある。