19世紀のメディア革命と文学
トールキンの生まれた19世紀末には、ザメンホフがエスペラントという人工的に作られた言語を提唱しており、20世紀に入ってからはソシュールが一般言語学講義を行って、言語というもの自体を問い直し、ひいては言語で表現される知や学問体系自体を問い直す、フレーゲやラッセルなどによる、論理学の問いかけが活発になっていた。
論理を証明することで世界を体系的に説明できる最も普遍的と思われた数学の体系さえ、ゲーデルによって不完全なことが証明され、数学論理では結論がでない問題があることをチューリングが発見し、そうした論理思考法が論理マシンとしてのコンピューターを生むことになる。またアインシュタインの相対性理論やシュレディンガーの量子力学などにより、宇宙を客観的に記述する物理学も根底から大きく変化した。
こうした時代にもやはり、スター・ウォーズや指輪物語のような物語があった。それらは20世紀の十大小説にも取り上げられる歴史的な作品だ。
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最も有名なマルセル・プルーストの『失われた時を求めて』は、没落する貴族社会と新興のブルジョワがサロンで渡り合う冗長でデカダンな文学と見られているが、各所に19世紀末の新規のテクノロジーによるメディア革命の片鱗が散りばめられている。
この物語が描く19世紀末から20世紀初頭には、ベルの電話やエジソンの電灯、蓄音器が発明され、ルミエール兄弟の映画が人気を博し、ダイムラー・ベンツのガソリン自動車が走り、ついにはライト兄弟の動力飛行機が飛び始め、数々のテクノロジーのイノベーションが起きていた。時代はそれまでとは大きく変化し始め、帝国主義の勃興と同時に義務教育が始まり、マスメディアとしての新聞が普及し始めていた。
マドレーヌと紅茶が記憶を呼び覚ます逸話がもっぱら有名だが、主人公が祖母のいるパリと避暑地のコンブレーを結ぶできたばかりの電話で行う会話は、天国の霊と会話しているような不思議な体験として描かれ、馬車での移動は途中で自動車にとって代わり、主人公のデートの範囲が大幅に広がり、その途中でも見た飛行機の姿が驚きをもって語られる。
こうしたテクノロジーは、まるで現在のインターネットのように、それまでの時代の時空や因果性の連鎖のスケールやテンポを大きく変え、いままで会えなかった多くの人や、想像もしなかった世界の果てにまで人々の意識を広げた。こうしたメディアによる基本的な世界認識の方法が変化することで、小説というジャンル自体のあり方にも変化が起きたのだろう。
また同じく有名なジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』も、ホメロスの『オデュッセイア』を下敷きに、ダブリンのある一日を描写したものだが、当時マスメディア化した新聞のジャーナリスティックな手法に影響を受け、新聞記事のようなスタイルで出来事や心理の描写がされているとされている。