インターネットのいいところは、「好き」を発信することで、同じ「好き」を持った仲間を見つけやすいところです。さらに、匿名アカウントを持つことで、知人に知られるのが恥ずかしいような「好き」さえも、堂々と発信できることです。
例えば、僕の友人の女性はSEKAI NO OWARIの大ファンなのですが、ママ友界隈や職場では好きなアーティストの話ができないので、ツイッターで匿名のファンアカウントを持ち、同世代のファンと交流しているそうです。
それも、はじめはアーティストの話題を共有する場だったのが、同世代の気安さもあり、だんだんと育児や主婦業、仕事との両立などの悩みを打ち明け合う場にもなり、「心安らぐ居場所になりつつある」と言います。
さらにインスタグラムなどのハッシュタグ機能は、「好き」で人をつなげる機能を果たします。例えば、京都に住んでいるサラリーマンの友人は「週末のランニングが生きがいだ」と言うのですが、よく話を聞くと、彼の楽しみは実はランニングそのものではなく、ランニング中に出会う景色をインスタにアップすることにあったのです。
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京都を走り、#ランニング #京都 などのハッシュタグで趣味仲間や京都に興味がある人とつながり、彼らにとっておきの写真を共有する楽しみがあるからこそ、ランニングが続いているというのです。
こうして会社や地域での交流ではつながれない人との交流や、表現しきれない自分の「好き」の時間や空間をインターネット内に持つことで、彼は日々のルーティンに自分の個性を摩耗されないよう、自由で繊細な心の空間を守っている、とも言えるでしょう。
僕は、心の居場所としての空間や時間をインターネットに持つことは、同調圧力のなかで苦しむ多くの人にとって、健全に生きていく上での保険ともいえるくらい、重要な習慣になり得るのではないかと考えています。