ビジネス

2019.12.01

日本で「本物のラグジュアリー」を作り上げた男の物語

林譲・エグゼクインターナショナル代表 写真:砂押貴久


時代が不景気になったからこそ新規開拓に成功

90年代から2000年前半まではブランドの景気も良かったが、リーマンショックや東日本大震災、中国市場の隆起などによって、日本におけるイベントの開催頻度や予算は縮小し始めた。それに伴い、イベント制作も「イメージを売る時代から実売に繋げる時代」へと変わっていった。

わかりやすく言えば、特設会場よりショップでのパーティー、これまでは別々だったリテールとPRの予算を合わせた施策などに変わった。クライアントも、化粧品や香水などビューティーブランドが増えていった。

ある日、森ビルの新開発担当者から、「新しくできるアークヒルズ フロントタワーのモデルルームのコンペに参加しませんか?」と連絡が来た。このコンペに勝ってから、建築家ユニットSANAAが基本設計を担当した6邸の分譲住宅「Case」のモデルルーム(2013年)、TRUNK(HOTEL)のスイートルーム(2017年)なども手掛けた。

その他、美術品オークションハウスのクリスティーズジャパンが主催するエリザベス・テイラーのオークション・プレビュー(2011年)など、アートや異業種の仕事も増えてきた。


アークヒルズのモデルルーム。部屋毎に架空の人物像やテーマを詳細に決めてモデルルームを作り上げた(2010年)。 画像提供:エグゼクインターナショナル

パーティーのような「一夜限りの仕事」とはまた違う、「形に残る仕事」にも業務の領域を広げている。今はまだ詳細を発表できないが、三菱地所が進めるベルコモンズの跡地プロジェクト「(仮称)北青山二丁目計画」にも携わっている。

「好きこそ物の上手なれ」というような人生だ。

少年時代に夢見た「人の笑顔にであいたい。夢を与えたい。それを裏からニヤッと見ていたい」という生き方を全うしてきた。インタビュー中、30年以上の前の仕事も昨日のことように鮮明かつ詳細に話す記憶力に驚いた。それだけ想いを込めてやってきたというのが伝わった。そして、本質を知るからこそ、本物を作れるのだということも。


バカラのバー「B bar Marunouchi」の開業インビテーション(2004年)。くり抜かれた丸の内マップの上を、同封されたボールで転がしながら丸の内店を覚えてもらう作りになっている。 写真:砂押貴久

また、話の端々に出てくる「ちょうど友達がいて」「たまたま親戚が繋がっていて」というような人脈の強みだけでなく、「可愛がってくれて」「気に入ってもらえて」という言葉が印象的だった。

実際、筆者もその笑顔や奢らない人間性に引き寄せられた。思わず「ドキュメンタリードラマ化したい! 脚本を書いてみたい」と思ってしまったほど。インターネットで調べても出てこないような実績や人名、そしてユニークな人生……インタビューを終え「この人だからこの仕事ができるんだ」と納得感があった。

連載:砂押貴久のエモーショナルライフ
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文・写真=砂押貴久

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