ビジネス

2019.12.01

日本で「本物のラグジュアリー」を作り上げた男の物語

林譲・エグゼクインターナショナル代表 写真:砂押貴久


ある日、前職時代に付き合いがあったルイ・ヴィトンから「東京・大阪でクリスマスパーティーを開催するからお願いしたい」という依頼を受けた。

「当時はホテルに丸投げの時代でしたが、僕はそれが嫌で、テーブルやフラワーデコレーション、フードペアリングまでプロデュースしました」

今では企画の「持ち込み」も当たり前だが、90年代はホテルが力を持っていたため、生意気扱いをされたこともあったそうだ。だが、鍛え上げたセンスや人脈が奏功。このクリスマスパーティーを機に、展示会、店舗のオープニング、「エピ」のカタログ作りまで仕事が拡張していった。

90年代のルイ・ヴィトンは、伝説の実業家、秦郷次郎(元ルイ・ヴィトン・ジャパン、LVJグループ代表取締役社長)の手腕により、グローバルの売り上げの3分の1以上を日本が占めるまでに成長している最中だった。

その秦社長と一緒に作り上げていたこともあり、「あのルイ・ヴィトンの仕事をしているのであれば……」と、仕事が少なかった3年間が嘘のように様々なブランドから話が舞い込んできた。

ブランド、テーマに合わせた会場作りの先駆け的存在に

シャネルでは淡島ホテル(1997年)、カルティエでは日本科学未来館(2003年)、エルメスでは両国国技館(2007年)、日産 GTRでは開通を控えた首都高速道路中央環状線“山手トンネル”(2007年)など、様々な場所でパーティーやイベントなどを実施した。

いつしかブランド、テーマに合わせた会場作りの先駆けとして業界で知られるようになった。指名で仕事がくることもあれば、コンペで戦うこともあったが、破竹の勢いで勝ち続けた。


バカラ日本支社の小川博会長に「未だに印象に残っているイベント」と言わしめたのが、フランス大使館で実施したバカラ 240周年記念パーティー(2004年)。盆栽と「バカラ」を組み合わせたディスプレイ。

当時は今のようにイベント貸しの文化が定着していなかったので、交渉に始まり、セキュリティや移動経路の調整など、課題も様々あったが、「他のブランドと違うことがしたい」という(各ブランドの)日本支社のスタッフたちと協力し、実現してきた。


「来て頂く前からわくわくしてもらいたい」という思いで、インビテーションにもこだわっている。写真はティファニーのインビテーション。箱を開くと、ルービックキューブのように広がり、組み合わせると、パーティー内容が記された面やジュエリーが描かれた面が現れる(2007年)。 画像提供:エグゼクインターナショナル
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文・写真=砂押貴久

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