ビジネス

2019.12.01 20:00

日本で「本物のラグジュアリー」を作り上げた男の物語

林譲・エグゼクインターナショナル代表 写真:砂押貴久

林譲・エグゼクインターナショナル代表 写真:砂押貴久

初対面の印象は、写真に映った笑顔のように「人当たりがいい人」とホッとした記憶がある。ルイ・ヴィトン、カルティエ、バカラなどのハイブランドから芸能人の結婚式まで、30年以上もエクスクルーシブなイベントをプロデュースしてきたエグゼクインターナショナルの林譲代表。これまでほとんどインタビューを受けてこなかった“THE 裏方”さんだ。

現在のようにイベント制作の“やり方”がなかった時代から、ラグジュアリーブランドと付き合い、イベントやパーティーを作り上げてきた。そのクオリティの高さは、20年以上前の仕事を見ても古臭さを感じさせないことからも想像がつく。エグゼクインターナショナルは、世界観作り、行き届いたおもてなし、ユニークなクリエイティブに定評がある。

センス、アイデア、コミュニケーション能力、そして人脈……様々な要素を持ち合わせないと仕事がもらえない厳しい世界で、修羅場もたくさんあったはず。それなのに、一緒に仕事をしてみると余裕が溢れている。

身なりやセンス、そして時折話してくれる仕事のエピソード。それを聞いていると、いつのまにか「もっとこの人のことを知りたい、知ってもらいたい」と思い、インタビューを申し込んだ。


1961年、政治家家系のもとに生まれた。生まれも育ちも渋谷。デザインに関わっていた母の姉がNYに住んでいて、小さい頃から現地の情報を聞き、服を買ってもらっていた。夏休みは軽井沢、冬は神宮前にある親戚の家に集まって、プレゼントが並ぶ大きなツリーを囲むクリスマス……。

まるでドラマの題材になるような羨むような生活だ。

少年期だった60年代後半は、『パパ大好き』『ニューヨーク・パパ』など、アメリカの幸せな中産階級を題材にしたファミリードラマを観る機会が多かった。

中でも影響を受けたのが、シチュエーション・コメディの『奥さまは魔女』。タイトル通り魔女の妻を持つ夫が、広告代理店の営業マンとして働くシーンで、ボードを使ってプレゼンをする姿に「僕もこういう仕事に携わりたい」と思うようになった。


子供の頃に憧れた姿を今も忘れず、写真集や映画のワンシーンで集めた写真をボードに貼ってプレゼンをしている。どれもネットでは見つけられない画像ばかり。 写真:砂押貴久

そして10歳頃にウォルト・ディズニーの企業理念を知り、「人の笑顔にであいたい。夢を与えたい。それを裏からニヤッと見ていたい」と、将来の夢を持つようになった。

中学、高校時代は洋画や洋楽を通じてファッションにも興味を持ち、渋谷、原宿、そして代々木のアメカジショップに通っていた。日本で欲しい物が見つからない時は絵を描いて、NYにいる叔母におねだりするなど、ファッションが大好きな学生だった。

おまけに、行きつけのカフェは代官山というのだから、ツッパリ全盛の時代とは思えない感度の高さだ。

大学生になると、PRの先駆けだった小笠原洋子の事務所で手伝いをしながら、ファッション業界やショー等の話を聞いて知識や人脈を広げ、いつしか「人一倍、友達が多かった」。

70年代後半といえば、世はディスコブーム。各所でディスコイベントが企画されている中、「ファッションショーやマジックショーを取り入れたり、『エスティーローダー』にお土産のギフトを用意してもらったり……」と、他の人と違うことを考え、当時からイベント作りの才能を発揮していた。

ファッションショーをする際には、日本人ではなく、外国人やハーフのモデルを起用するなど、アイデアだけでなくクオリティーにもこだわっていた。
次ページ > 政治家家系に生まれた苦悩

文・写真=砂押貴久

advertisement

ForbesBrandVoice

人気記事