フォーブス・フィールドは、1971年7月28日に取り壊され、同敷地には、ピッツバーグ大学の校舎が建築された。レフト側にできたシェンリー・ドライブの歩道に沿って、レフト側の外野の煉瓦のフェンスの跡が地面に残されている。その地面に残された煉瓦と共に、銘板が二つ埋め込まれている。
劇的な試合からちょうど50年目にあたる2010年10月13日、地元ファンがこの記念すべき日を祝わないわけがない。この日、フォーブス・フィールドの跡地で、マゼロスキー及び当時のパイレーツのメンバー、それに1000人を超えるファンが集まり、50周年記念式典が行われた。この式典に合わせて、球場跡地の隣にあるマゼロスキー・フィールド前のロベルト・クレメンテ・ドライブの歩道にマゼロスキーのサヨナラ本塁打の記念銘板が新たに埋め込まれた。
フォーブス・フィールド球場跡地の横にはマゼロスキー・フィールドがある(著者撮影)。
まだある。パイレーツの現在の本拠地PNCパークの西側の道路は、マゼロスキー・ウェイと名づけられ、2010年の記念行事の際に、そこにマゼロスキーの銅像と、フォーブス・フィールドの406フィート表示があったレフト側の煉瓦のフェンスの一部が設置された。
このマゼロスキーの銅像は、彼が劇的な本塁打を打ち、二塁ベースを回った時にヘルメットを脱いだ姿を再現したもの。銅像と共に設置された406フィート表示の煉瓦のフェンスは、彼の本塁打が超えたフェンスだ。
パイレーツの現在の本拠地PNCパークの西側の道路に設置されたマゼロスキーの銅像と煉瓦のフェンス(著者撮影)。
この煉瓦のフェンスは、1970年にフォーブス・フィールドが取り壊された後、スリーリバー・スタジアム(フォーブス・フィールドの次にパイレーツが本拠地とした球場)内のVIPクラブ、アルゲニー・クラブに移された。2001年にスリーリバー・スタジアムが取り壊された後、倉庫で保管されていたが、10年の歳月を経て、マゼロスキーの銅像と共に日の目を見ることになったのだ。
どうだろうか。ペンシルベニア州第二の都市、アメリカを代表する3つの川が流れ、水の街、橋の街、そして鉄鋼の街と呼ばれているピッツバーグの市民にとって、グローブを大切にする守備の達人が放った一撃は、いつまで経っても心に刻まれており、決して忘れられることはないのだ。
連載:「全米球場跡地巡り」に感じるロマン
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