キャリア・教育

2019.08.30 08:00

日本一人口が少ない村の存続をかけ、20代の「よそ者」が議員を志した理由 #30UNDER30


地産地消の給食センターの立ち上げ

翌年の2015年には「地域おこし協力隊」となり、2年間務めたのち、村の困りごとを解決する集落支援員となった。中でも印象深い出来事は、16年3月に開所した村の給食センター「大川村集落活動センター結いの里」の立ち上げに携わったことだ。

できるだけ地元の食材を集めるため、農家を一軒ずつ訪れ、給食への提供を求めたが、最初は消極的な反応が多かった。お年寄りが多く、山間部なので平地が少なく、田んぼがあまりない地域。「地元では給食に提供するほど食材なんて集められないね」と言われた。村では、ほうれん草やカラーピーマン、シシトウなどの生産がメインで、小さな田畑で、家庭で食べる分と近所に配る分だけを栽培している人も多かったからだ。

だが、大川村の給食は1日60食分程度。そこまで多くの食材は必要ではなく、足りない分は市場で買うこともできる。農家に負担をできるだけかけないようにしようとしたが、「天候不良などで出荷できないこともあり、プレッシャーを感じていた人もいたかもしれない」と和田は振り返る。

そこで和田は、自ら耕作放棄地の田畑を借りて、米や野菜を作り始めた。山間部でなかなか厳しい環境ではあったが、米も育てることができた。田んぼは1反で収穫量は120~130キロほど。

1年間食べる分はないが、地元の子どもたちが食べる給食の足しにはなる。地元の人たちに助けてもらいながら、子どもと一緒に田植えや稲刈りもやり始めた。「みなさんも一緒にやっていきましょう」と呼びかけると、徐々にほかの農家の人たちも協力してくれるようになった。

「自分が本気でチャレンジすることで、初めは消極的だった農家さんが手伝ってくれてる。いまでは、これまで作っていなかった品目に挑戦し、給食のために作ってくれる人も出てきたんです」

地元の人たちと協力して、給食のための食材の納品管理を行い、集落活動センターを拠点に軽食堂や地元産の商品開発なども手がけて来た。村には居酒屋などもないため、任期中には3ヶ月に1回、地元の人がお酒や食事を楽しみながら交流できるイベント「バル」を始め、いまも和田の後に続いた地域おこし協力隊が中心となって運営している。


村長らと打ち合わせをする和田(右)

大川村議会、存続の危機

地域のために活動を続ける中、2017年に大川村が全国的なニュースとして大々的に取り上げられるようになった。新聞やテレビで、議員のなり手不足について報道され、「過疎化で村議会廃止を検討」や「村民総会設置には、前例少なく課題山積」などの見出しが躍った。

和田は愛読書に司馬遼太郎の「竜馬がゆく」を挙げるように歴史や政治に関心が強く、当然、繰り広げられる報道にも興味を持った。「大川の人が感じている以上に、高齢化による議員不足は、日本の政治制度を変えかねない問題なのでは」と考えた。

一方で「地域に移り住んだ20~30代の人が議員になったら良い」という報道もあったが、和田自身、最初はそう思わなかった。「もっと地域のことを知っている、経験のある人が議員になった方が良い」と思っていた。
次ページ > 大川村が消滅してしまう可能性も

文=督あかり 写真=本人提供

ForbesBrandVoice

人気記事