追悼 瀧本哲史さん 30年来の友人が語る「天才の人間性」

写真:2019 株式会社フォニム


彼の天才たる所以は、その視座の高い発想力と、批判に終わらない提案力にある。それを可能にしていたのは、私がわかっている範囲では3つの要素がある。

第一に、彼が常人には計り知れないレベルで記憶力が優れていたこと。彼の場合、映像記憶ができるので、どんな細かいことも記憶していた。読んだ本のどこにそれが書いてあるかを一度読んだだけで把握してしまう。それだけでなく、日常のちょっとしたことも、もちろん憶えていた。

次に、論理的に考え切ってから、論を構成する能力である。彼は、単に記憶しているだけでなく、その情報を縦横無尽に組み合わせ、精緻な論理を作ることにも長けていた。

最後に、しつこく考え抜くタフさ。何か知ろうと思ったら、普通の人よりはるかに粘り強く、とことんまで調べ、追求し、考え続けることも徹底していた。

結果的に、常に知識データベースが強化され、論理構成力も磨きこまれていた彼の頭は、時を経るにつれ、常人には計り知れない量の知識を、自由に操っていたのだと思う。


写真:2019 株式会社フォニム

ご夫人の茜さんも彼をこう評価する。

「人が学習することを、彼はいつもすでに知っている感じだよね。だけれど、常に考えていて、自分なりに考えがまとまるまでは、調べて、考え続けていたタフさがあった。元々すごく頭もよかったけれど、知的なタフネスさがあった」

まさに一を聞いて十どころか数億兆、数京を知る、そのように見えたのが彼だった。

ある日、私が「日本語は将来、割とすぐなくなると思う。せめてラテン語のようになれるようにできないかと思っている」と言ったことがあった。すると彼は、「そうそう、でも、頑張ってもヘブライ語が限界」と言った。

私はそのとき、「話す人があまりいなくなくなっても、それなりのレピュテーションを保つ言語」という意味で、「ラテン語」しか思いつけなかった。それを瀧本君は、「ラテン語は宗教で支えられていて、昔からキリスト教圏では広範に利用されているが、日本語はそうじゃない」。そして、目指すべきは、ラテン語ではなく、「著述語としてのみ1800年生き延び、ついに現代に復活したイスラエル民族の言葉、ヘブライ語のほうがぴったりくる」という提案であった。

たったメッセンジャーにして4行くらい。時間にして一秒程度のやり取りである。私が考えに考え抜いた末、見出した結論を、彼はとっくに知っていて、さらに深い考えを常にもっているのだ。

このとき、私たちは「日本語がなくなるまでには、あと数百年くらいはあるかな」なんて長い期間の話題をしたし、何かをやり遂げるためには時間が必要だから、お互いに絶対に長生きすることを大事に頑張ろうよと言っていたのに。
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文=武井涼子

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