追悼 瀧本哲史さん 30年来の友人が語る「天才の人間性」

写真:2019 株式会社フォニム


今年の3月に、彼が出資しているフォニムという音楽教室事業を行う会社のイベントで、彼と対談をすることになり、昨年末からはかなり頻繁にやり取りをしていた。最近あまり人前に出ていなかったし、この対談は彼の公の対談としては最後になったようで、その相手が私だったことは、彼にとって良かったのだろうか、どうだったんだろうか。

私にとっては、それは、相変わらずたくさんの示唆があった会話だった。いずれにせよ、彼とコミュニケーションすればいろんな話題が出てくる。これからは、また仕事で絡みがたくさんありそうだなぁ、と互いに話していた。


写真:2019 株式会社フォニム

その後、6月に出た彼のNewsPicksのインタビュー記事を私がピックしたときに、ありがとうというメッセージをくれた。その記事自体も1000以上のpick数がついたし、私のコメントもLike数が1位になったことで、読まれるコンテンツになってよかったね、なんてことをメッセンジャーでやり取りしたのがつい先日のことのようだ。

彼にはあまり無駄な時間を取らせたくないと思っていたから、用事もないときはほとんど連絡はしない。次は9月に見てもらいたいものがあるから連絡しようと思っていた。

そんな矢先、ボローニャの街角で、茜さんからメッセンジャーが入った「今、海外だよね、ヨーロッパ?」。知っていることもあったから、ちょっとだけ嫌な予感がした私は「そうそう、何か買っていこうか?9月になるけど」、そんな返事をわざとしたのだ。すると、「このまま、少し話せるかな」と。

人通りの多い街角で、大の大人がおいおい泣くなんて恥ずかしいことは死ぬまで絶対しない自信があった。でも、人は人目もはばからず泣くときもあるのだ、ということを知った。家族からしても、とても急なことだった。最後までとても前向きで、一つも誰に対しても、いやなところがなく旅立っていった、と聞いた。

彼の投資家として、そして京都大学の准教授としての功績は、授業や影響を受けた皆様の記憶にとどまり、企業などは実際に世の中に存在し続けることで彼のことを未来永劫語り続けるであろう。そして、世界の未来を「若者の教育」に託していた彼が残した最大のものは、著作とネット上などで発表されている彼の言葉であろう。

処女作にしてベストセラーとなった『僕は君たちに武器を配りたい』から、最後の著作になった『ミライの授業』(講談社)に至るまでの彼の著書はもちろんだが、最後のロング・インタビューになったのではないかと思われるNews Picksの「僕武器2020」をはじめ、各所で発表されている彼の講演や対談の書きおこしには、素直な気持ちで読むと必ず誰にでも示唆を得られる何かがあると思う。

自分でも改めて何かおすすめを選べないかと思ったが、どの文にも違ったよさがあり、選ぶのは難しいという結論に至った。

彼の言葉は、どんなに何かをぶった切っている発言であっても、よく全体を見ると常にポジティブで前向きな提案がある。そのうえ、彼が許可をして発表された彼の発言は考えつくされていて、単なる思いつきに見える一言すら、深い思考と根拠に支えられているから、思考のし甲斐も必ずある。

たとえば、『僕は君たちに武器を配りたい』は8年前の本だが、今やっと時代が彼の思考に追いついてきた感があり、まさに今からの本になっている。そういう本質や先を見る力が天才であった彼にはあったからだと思う。


写真:2019 株式会社フォニム

今、私は国外にいる。夏季休暇に加え、テレワークの実験中である。だから、ということもあるだろう。まだどうしても実感が湧かない。まだいくらでも新しい言葉や記憶が生まれてくるような気がしている。常に進化し続けていた彼だから、もっと進化した言葉が聞けるような気もしている。でもそれはもうかなわないことだと理解しなくてはいけない。

ちょっとずるいかもしれないが、大事な宝物のように思っている彼の言葉や様々なエピソードは私だけのもの、または、彼と近しかった人たちだけのためにとっておきたい。それに、もしかしたら、ご葬儀の弔辞で、彼の人となりはもっとうまく紹介されていたかもしれない。

けれど、それでも、今実感がないからこそ、どうしても、本当に彼が天才であったこと、そして彼がとてもあたたかく、心の大きな素晴らしい人であったということを伝えたいという強い衝動にかられてこの文章を書いた。

まだまだ本当はたくさん書きたいこともある気がする。それに、安らかに、なんてまだとても言えない。でも、今、彼のことを何か書いておくべきだ、と思ったのだ。

文=武井涼子

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