そんな彼と再会したのは、東京大学の小宮山総長が始めた、東大生が自らのキャリアを主体的に選択できるよう卒業生と気軽に、本音で語り合える場を創設する「知の創造的摩擦プロジェクト」だった。当時、今度は私がマッキンゼーに務めており、「知の摩擦」のフェローのような役割を東大から依頼されていた。
ある日、イベントに参加すると、「武井さん」と声をかけてきた人がいた。それが久しぶりに会う彼、瀧本君で、すでにエンジェル投資家としても京都大学の客員准教授としても活躍をしていたのだった。余談だが、エンジェル投資家という存在とその定義を教えてくれたのも彼だった。
その後は、「知の摩擦」のイベントやその飲み会で会っては、昔のように話しこむようになった。「東大の卒業生活動がこれからどう面白くなるのか」という直接関係ある話題から、「今後の世界はどうなるか」「その中で日本は何をするべきか」といった話題まで、何でも意見を聞いては、相変わらずのものすごいメタ認知と天才ぶりに舌を巻いていた。
私の考えを言うと、「それは見方が狭くて……」と言われることが多かったが、彼が思いついていないことを私が言ったりすると「そうか、その考え方はあるね。それは考えつかなかった。でも、そうだとしたらこうじゃないの?」と、思いついた私にちょっと敬意を示してくれたうえで、さらに上を行く意見を出してくる。正直で素直な人なのだ。
人によっては、彼に意見をさえぎられ、切り捨てられたように思う人もいたようだが、実は、さえぎってるわけではなく、彼にとっては「意見はすでに聞いた」ということなのである。つまり、もう相手が言うことがわかってしまっていて、それ以上聞いても時間の無駄だから、自然とさえぎってしまう。意見を聞いていないわけではないのだ。
しかもその意見を否定するにしても何にしても、常に「それだったらこうしたほうがいいのではないか?」と、ポジティブな提案をしてくれる。彼は、いつでも誰にでも、アイデアを分け与えてくれる懐の大きい人だった。
私の個人的な名刺のデータベースには世界各国の5000人以上の登録がある。データ化していない人にも沢山会ってきた。そんな私から見て、どう考えてみても、同世代でぶっちぎりの天才が、瀧本哲史君であった。
彼はあたたかい人でもあった。実は人情にあつく、この人のことは味方してやろう、と思うと、その頭脳を駆使して頑張ってくれる人であった。
ある日、いまや飛ぶ鳥を落とす勢いの起業家がまだ若いとき、適当なことを言って学生をアジっているのに腹が立ち、私がその起業家に論戦を吹っ掛けたことがあった。そのときの私への彼の素晴らしい加勢は今でも覚えている。
もっとも瀧本君は冷静にその起業家に「お前の言っていることはおかしい」と言ってくれていたが、酔っぱらいで多分支離滅裂だった私と、同じく酔って支離滅裂だった相手を前に、加勢するのは大変だったろう。