常にそうやってポジティブで、頼られれば誰にだって何か役立つ具体的なことを考える、というのが、彼であった。投資先についても同様で、手じまいすることになってしまった事業はほとんどないはずだ。なったとしても、うまくいかなかったから閉じるというよりは、理念が変わってしまったから閉じるという感じであった。
写真:2019 株式会社フォニム
さて、残念ながら、私に誰かを紹介しようという彼の努力は実らなかった。一方で、瀧本君も大いに癖のある人だから、彼にふさわしい人というのもなかなかいなかった。ただ、実は私には、彼の求める条件にぴったりなうえ、彼を面白いと思ってくれそうで、しかも彼も彼女との意見交換を面白いと思ってくれそうな、つまり、結婚して楽しくやっていけそうだと思うMBA同期の友人がいた。
私がNYに住んでいた頃、ボストンに住んでいる彼女のNY滞在時の宿はいつも私の部屋だったし、私が離婚したときに家出先になってくれたのも彼女、茜さんである。
ずっと彼女のことが頭にあったので、タイミングを見て彼に紹介をすると、瀧本君は「ちょっと今は考える」と言っていたが、一年ほど経った後に「前に紹介してくれた茜さん、今誘ってもいいだろうか?」と律儀な状況確認があり、しばらくすると、二人は結婚したのだった。
今までに何組か結婚につながる紹介をしてきたけれど、こんなにぴったりな相手を紹介できたのは私の人生最大の成功だと思っている。というのも、彼女にはもしかしたらいろんな選択肢があったのかもしれないが、瀧本君には彼女しか選択肢はなかったろうと思うし、私の知りうる限り、二人はとても良い夫婦でお互いを尊敬しあっていた。
彼が結婚した後は、奥様になった茜さんとも、瀧本くん本人とも連絡を取ることもあった。そのころからは私も各所でいろいろな発信を始めていたから、互いに生息状況を確認してはいたし、折に触れて共通の知人に会うことなどはあり、そんなときに話題が出たよ、なんていう話をSNS上やメールでちょっと話す程度であった。
たとえば、私が教えているグロービス経営大学院で、日本交通の川鍋氏に講演をお願いしたときに、彼が「(日本交通再建)当時、瀧本さんは『いいですよ川鍋さん、僕も行きますよ』と、いとも簡単に日本交通に来てくれた。火中の栗を拾うかの状況だったのに、さも軽々と決断してくれた。彼は本当に大恩人で、瀧本哲史に足を向けて寝られない」なんて話を聞く。それを瀧本君に伝える。そんなちょっとしたやりとりを続けていた。
実は、彼に関しては、直接関わった人から良い話しか聞いたことがない。それも彼の人間性であった。彼が「大丈夫だろう」とか、「やりますよ」「できるはずだ」と言った際には、必ず彼の中に根拠があり、無責任な発言は一つもない。
できないと思ったときは容赦なく「無理だ」と言ったし、代替のアイデアを提示する。だから、彼の言葉は力があるし、信用でき、実際に一人ひとりに力を与えてきた。