退路を断ち、小出監督にすがった若き頃の選択|高橋尚子 #30UNDER30

スポーツキャスター 高橋尚子


とはいえ、私も初めから小出監督に全幅の信頼を置いていたわけではありません。当初は小出監督のメニューに反発することも多かった。けれど、そういうときに監督は「おれの言うことが聞けないのか」じゃなくて、「じゃあやってみろ」と言ってくれるんです。そうやって押し通した自分のやり方では一向にタイムが伸びなくて、「なら一度、ちゃんと言うことを聞こう」と。そうしたら一気に結果が出るようになった。信頼できると思ったのはそれからです。

でも、オリンピックで勝つには「監督を信頼する」だけではダメなんです。今度は、「私のことは私が一番知っている」を前提に、「いかに小出監督に私のことを知ってもらうか」がポイントになります。

例えば「今日は30kmやろう」と言われたとき、「監督、私は今日40kmくらい走れる体力が残っています。でも明日明後日のメニューもありますし、どうするのがいいと思いますか」と意見を求めるんです。

すると小出監督は「じゃあ40kmにしよう」と言うときもあれば、「今日は30kmにしておこう」と言うときもあって、練習メニューに対して一方的な指示や反発ではなく、コミュニケーションが生まれました。私が私について伝えることで小出監督が知らない私を知ってもらって、その上で最適な練習を組んでもらう。このときのコミュニケーションはいまも生きています。

小出監督との当時のやり取りのなかで思い出に残っているのは、初めて会ったときに言われた「響く相手になれ」という言葉です。

「おれも人間だから、成長させてあげたい、言葉を響かせたいと思う相手じゃないとやらない」と言うんですね。自分は与えられる立場だと捉えてしまうと、「してもらって当然」になってしまって、やがては「なぜしてくれないのか」と受け身の発想になります。でも、人間関係って、いかに自分をアピールして、相手からのサポートを引き出すか、ですよね。数ある人材の中で、いかに上の立場の人に選ばれ、引き込むか。それも重要なことだったと、この立場になって気づきました。

「才能がない」と言われた自分に残った、金メダル以外のもの



私の話を聞いて、「才能があるから言えることだ」と思う人もきっといますよね。

実は私は陸上を初めたばかりの頃からずっと、「(身体的な)素質がない」と言われてきたんです。だから素質がある人をうらやましいと思っていました。
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文=朽木誠一郎 写真=小田駿一 ヘアメイク=小森真樹(337inc.)

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