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2019.08.22

「ロケットに飛び乗った」若者たち|アマゾン ジャパンができるまで 第6回


「でも、野口くんをはじめすでに仲間もできていたし、アマゾンの独特の経営には学ぶべきところも多かった。何よりも、J.P.モルガンの言葉ではないですが、『どこかに辿り着きたい』という思いは依然としてあったし、ネットスケープの『運の悪いイリノイ大生』にもなりたくなかったですしね! で、リテイルビジネスにフォーカスすることに気持ちを切り替え、オンライン広告を担当することになりました」

EUCとSHIFT-JIS……「文字化け」対応の日々

また、当時の日本のサイトユーザーには、EUC派(UNIX)とSHIFT-JIS派、両派がいたことがサイト運営側としては悩みのタネで、ローンチ直前の2000年10月までは、文字化け対応が大きな仕事だった。

この方向転換から約10カ月後、アマゾン ジャパンはローンチの日を迎える。当時のアマゾンの、インターナショナルを含めての売上げは年間2800億円。そして、ジャパンローンチ時の初日の売上げは4000万円、2日目は1700万円。半年以上かけて苦労して立ち上げて、この売上げか……とは思いながら、アマゾン ジャパンの成功を信じる2人の気持ちは揺るがなかった。

野口が振り返る。

「メディアの論調としては、アマゾン ジャパンはどうせうまくいかないだろうというものがほとんどだった。そもそもオンライン書店としては後発だったし、日本の出版社や取次の多くがが好意的ではないという背景もあった。当時書籍市場は2兆円の規模があり、書店は、出版社や取次に人気の本を『扱わせていただく』というスタンス。書店がうまくいくのも失敗するのも、出版社や取次の意向ひとつというところがありましたから。

とはいえ、洋書を含めた本の取り扱い数では、国内のオンライン書店を凌駕していた。それに何より、テクノロジーにかけるリソースのスケールが、競合とは段違いだった。評論家たちのネガティブな予測をよそに、実はこの時点で勝負は決まっていたと思います」

曽根も言う。

「ジェフ・ベゾスが記者発表で伝えたように、アマゾン ・ドット・コムには、すでに20万人近くの『日本からのユーザー』がいた。その1人でもあった自分は、絶対にうまくいくと思っていました」

=敬称略、「第7回」につづく

(第7回 8/29公開)



◎曽根康司=株式会社キャリアインデックス執行役員、社長室長。慶應義塾大学法学部政治学科卒。慶應義塾大学大学院経営管理研究科修士課程EMBAプログラム在学中。「焼肉探究集団ヤキニクエスト」メンバーでもある。

◎野口真=Naked Running Band など海外スポーツ関連ブランド商品の輸入販売とECコンサルを手がけるRufus & Company LLC 経営。東京外国語大学ロシア東欧語学科卒。デジタルハリウッド大学大学院DCM修士。トレイルランナー、トライアスリートで過去4回の100マイルレースとアイアンマンも完走。

文=石井節子/福光恵 構成=石井節子 写真=帆足宗洋

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