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2019.08.08 08:00

コードネームは「Brazil(ブラジル)」|アマゾン ジャパンができるまで 第4回

連載「アマゾン ジャパンができるまで」第4回


なかでも匿名の立ち上げ準備でもっとも苦労したのは、採用だった。面接で最初にしてもらうのは、NDA(守秘義務契約書)へのサイン。長谷川とともに人材確保に走り回っていた西野が言う。
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「人材会社に『英語ができて、エディター経験のある人を探してほしい』とリクエストした。なにせ社名は明かせないし、特に当時英語も出来て編集経験のある人は少なかったので、なかなか人は見つからない。そこでその人材会社、なかなか秀逸な、ある離れ業を使ったんです。まず都内の出版社に片っ端から電話をかける。それも日本語がわからないふりをして。そうすると社内で英語のできる人が電話口に出てくるので、そこで事情を説明し、『社名は言えませんが、うちに来ませんか?』と口説く、という」


「出版社に片っ端から電話して、日本語がわからないふりをして英語ができる編集者を探したりした」と西野

結局この方法で採用された1人は、その後、エディターたちの書く原稿の全てに目を通す「コピーエディター」としてローンチ前後のかけがえのない戦力となった。そして彼女は19年経った今も現役のアマゾン ジャパン社員で、レジャー用品から研究開発用品といった多様なストアを管轄する部門のシニア・プロダクトマネジャーとして活躍している。
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ジャパン立ち上げ時の記者会見で、壇上のジェフ・ベゾスと長谷川

物流システム立ち上げは「ドッグフードの残り香の中で」

当時のエディター採用同様、当時、「物流がわかり、英語も出来る」人材を探すこと自体がハードルだったが、同じ頃入社したのが、日産のアムステルダム支社の物流部門はじめ海外での物流経験が豊富で、のちにアマゾンの物流部門「アマゾン・ロジスティックス」の代表にもなる瀧井 聡だ。

「私の知人が、ある晩飲み屋で、『誰か英語も出来て物流もわかる人知らない?』と相談されたとか。その時、彼の口をついて出たのがたまたま私の名前だったようです」(瀧井)

この時に瀧井を紹介したのは、西野がビットバレー関連(「第3回」参照)で作った人脈つながりの人物だった。

=敬称略、「第5回」につづく

(前編・第9回まで随時公開)





長谷川純一◎ベイシス・テクノロジー代表取締役、アジア担当部門長。ピープルソフト共同設立者、日本オラクル執行役員として、ERPシステムの開発および導入プロジェクトを率いる。MITスローンスクールで経営科学修士を取得。客員教授として法政大学ビジネススクール (イノベーション・マネジメント専攻)、客員講師として青山ビジネススクールで10年以上教鞭を取った。

瀧井 聡◎初代アマゾンロジスティクス社長。その後、株式会社三越伊勢丹ビジネス・サポートにて物流構造改革、 サプライチェーン改革、物流センター移転・統廃合を行う。日産自動車株式会社にてスペアパーツのサプライチェーン・ロジスティクス全般、欧州物流センター(オランダ・スペイン)におけるサプライチェーン改革、米国物流センターの物流改革に従事。2000年、アマゾン ジャパン立ち上げ、 Amazon.cn(中国)立上げ、Amazon Prime立上げ、FBA(Fulfillment By Amazon)の立上げ、Kindleの立上げ等をリードした。

西野伸一郎◎株式会社富士山マガジンサービス代表取締役社長。明治大学卒業後、NTT法人営業部門にてシステムコンサルタントとして活躍。企業派遣によりニューヨーク大学でMBAを取得し、1998年、株式会社ネットエイジの設立に取締役として参加。米国アマゾン・コム、インターナショナル・ディレクター、アマゾン ジャパンにはジェネラルマネージャーとして立ち上げから参加。2002年7月に日本初の雑誌定期購読エージェンシー「富士山マガジンサービス」設立。雑誌のオンライン書店/~\Fujisan.co.jpスタート。2015年7月東証マザーズ上場。

文=石井節子/福光恵 構成=石井節子

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