専用露天風呂の先駆け
一の湯グループの店舗では、専用露天風呂を設ける客室が多くみられる
経営改善の中で低価格路線はさらに進む。1994年には一の湯本館で1泊2食9800円をスタート。さらに、キャトルセゾンでも破格の「1泊2食4900円」を打ち出し、大反響を呼ぶ。一方でただ安いだけではない、よりバリューのあるハードを模索する。
晴也から相談を受けた店舗開発担当の澁谷基之は、“客室専用露天風呂”を提案した。いまとなってはブームである客室の専用露天風呂であるが、当時はそのような発想の施設は皆無だった。
確かに古い建物に水回りを増やすのは、水の供給量や強度といった点からも一般的にはセオリーに反するが、ハードで差別化を図るべく実現した。格安路線を進める中で贅沢な設備を設けるのはある意味で矛盾しているが、格安なのに専用露天風呂という意外性はゲストにフックし、「一の湯といえば格安だけど豪華」というイメージが定着するようになった。
今でこそ高級旅館で定番の客室露天風呂だが、先駆けが格安旅館だったとは意外な事実だろう。現在7軒となった一の湯グループ店舗展開でも、客室専用露天風呂はスタンダードであり、人気の屋台骨を支える設備となっている。
そんな快進撃を続ける一の湯にも危機的なシーンがあった。一の湯を予約する際には、予約金を支払う。事前に予約金を受領するシステムも、業界では一の湯が先駆けとして知られる。
事前受領した予約金は食材の仕入れなどに使われるが、東日本大震災の際にはキャンセルが相次ぎ、予約金の返還で1億円ほどのキャッシュが必要になるほどの大打撃を被った。新しいことへのチャレンジだけに、そこには大きなリスクもあったのだ。
旅館の息子というレッテル
小川 尊也氏
2018年8月、晴也からバトンを継いだのが尊也だ。33歳という若き新社長である。尊也は幼い頃から、一の湯の名声が高まるほど、“箱根の温泉旅館の息子”というレッテルが嫌でたまらなく、大学は誰も知らないところへ行きたいと、京都の同志社大学へ進学した。
もともと馬が好きで馬術部へ入部し、将来の夢は競馬の厩務員だった。父の晴也はそのような尊也の選択に意見したことはなかったという。厩務員は憧れのしごとだったが、やはり力仕事。長く働けることも考慮し、卒業後はサイゼリヤへ入社。幹部候補として多くの店舗で現場を経験し、チェーンストア理論を学んだ。
そのような中、これまでいっさい口を出してこなかった晴也が突然、尊也の勤め先に来た。「一の湯に入って欲しい」という打診だ。時は、大震災の直後。尊也は迷いなく家業を継ぐ決心をした。