とりわけ、“温泉宿”の格安化には目を見張るものがある。ひと昔前までは2~3万円は下らなかった有名温泉地の人気施設が、今や1泊2食1万円以下が当たり前となって久しい。1泊2食数千円で夕食時に飲み放題をつける施設もあり、とにかく激安をウリに全国展開するブランドが増えている。温泉宿が様々な手法で合理化され、利用しやすくなった例は多い。
格安旅館ブームの先駆け
多くの人々が気軽に温泉旅行を愉しめるようになったわけだが、全国に波及した“格安温泉宿現象”の火付け役となったブランドがある。箱根で展開する「一の湯グループ」だ。
格安の先駆けというだけに新興ブランドかと思いきや、その歴史は古い。塔ノ沢にある旗艦店で、国の登録有形文化財に指定されている「箱根 塔の沢 一の湯本館」は、1630年創業。いまでも多くのゲストが訪れる人気宿だ。
箱根でも有数の老舗宿として知られる旅館が、いかにして格安路線へ舵を切ったのか。そこには老舗のイメージとはかけ離れた改革があった。
洋風ホテルの失敗
いまや格安で人気を博する「塔ノ沢キャトルセゾン」
一の湯15代目の小川晴也は慶應義塾大学を卒業後、1978年に勤務していたコンピューター会社から家業を継ぐことになった。晴也は、借金で手が回らない、まさに火の車だった経営状態に頭を抱えた。経営悪化の原因は1974年に竣工した「キャトルセゾン」だ。
晴也の父は、洋風ホテルを建てたいという思いがあり約5億円を投じ建設した。当時箱根で洋風旅館は珍しく、オープン当初は高級フランス料理を愉しめる「箱根オーベルジュ」のはしりとしてグルメのゲストが集まり、宿泊料金は本館同様約3万円という設定だった。
本館はコンスタントに高稼働を維持していたが、キャトルセゾンはしばらくすると閑古鳥が鳴くように。追い打ちをかけるように、洋風旅館ならではの高コストにも悩まされた。シェフ、サービススタッフは、和風旅館である一の湯本館とは全く別雇用で、当然食材も異なるからだ。
一の湯本館の利益を食い潰す状況になるまで時間はかからなかった。とにかく料金を下げて反応を見ようと、晴也は実験的に低価格路線への転換を試みる。1988年に9800円という、当時としてはありえない料金設定で売り出すと大反響を呼んだ。
周囲の同業者からは「一流旅館が二流になってしまうのか」と総スカンをくらう。価格破壊の軋轢は想像以上であったが、それでも晴也には確信があった。とにかく利用者に支持される旅館を目指す。彼の目は常に未来とひとりひとりの利用者に向いていた。