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2019.03.06 11:00

誕生!大廃業時代を超越する「町工場集団」

由紀精密社長 大坪正人

由紀精密社長 大坪正人

経営傾く家業を再生させた町工場の脚本家が次に描くもの。それは、日本に眠る技術の宝を結集し、中小製造業を新階層に導く壮大な物語だった。


社員40人の町工場の社長が、大新聞の一面を飾ったのは、2018年8月8日のことだ。日本経済新聞の「スタートアップ大競争 変わるかニッポン」という連載の第3回の記事には、神奈川県・茅ヶ崎を拠点とする由紀精密の大坪正人が柔和な笑みを浮かべた写真が付されていた。

日経新聞の記事タイトルは、〈「アトツギ」創業〉──。ここに大坪がもつ2つの顔が端的に表現されている。〈アトツギ〉は祖父がつくった由紀精密の社長であることを主に意味し、〈創業〉は家業を発展させた由紀ホールディングス(HD)の社長でもあることを示している。

17年に立ち上げた由紀HDは、関連会社含め13社の「町工場集団」で構成される日本ではあまり見られない形態のホールディングカンパニーだ。金属加工を手がける由紀精密もそのうちの1つ。グループに迎え入れる企業には、共通点がある。目安として売り上げ100億円以下、社員は100人以下。いずれも専門分野で高い技術をもちつつ、事業承継などに悩みを抱える中小企業だ。

全国紙が大坪に注目したのは、単純に後継ぎとして成功したからではない。2度目の〈創業〉が、日本の製造業が秘めている可能性を再発掘し、新たなフェーズに移行させる取り組みだからだ。

そこで大坪に会うと、彼は自分のことを「脚本家のようなもの」と話し出した。

「会社の長期的な物語をつくり、企業文化を育てる。それが僕のいちばんの仕事なんです」

日本の中小企業は大きな曲がり角にある。経済産業省の試算によれば、25年までに後継者不足などで127万社が廃業の危機に直面する。この現実は、もはや不可避だ。そこで大坪は、企業という枠組みを超えて製造業を束ねるHD化という離れ業によって、この状況を乗り越える大胆な策を描き出した。

「技術力はあるのに苦しんでいる会社をなんとかしたい。金もうけより、日本の技術を残すことに価値があると思うんです。みんなが知らないような分野で、ものすごく高い技術をもっている会社って、じつは世の中にいっぱいあるんですよ」

大坪に転機が訪れたのは06年、30歳のときだ。東京大学卒業後はベンチャー企業インクスに勤め、手がけた金型工場が「ものづくり日本大賞経済産業大臣賞」を受賞するなど、急成長に貢献した。しかし、父が経営する由紀精密の業績が悪化したのを機に家業を継ぐことを決意する。そこで生きる道として考え出した筋書きが、信頼性が付加価値となる新たな業界の開拓だ。

「双璧は航空宇宙領域と医療機器。人の命が直接かかわってくるので高品質であることが条件なんです。狭き門だけど、そこにどんどんアタックしていきました」


航空関連部品のバリ取り作業。点数が少ない部品では、手作業で仕上げを行うものもある。量産しても不良品を出さない徹底した品質管理は、顧客に信頼される由紀精密の強みだ。

メリットは2つ。1つは希少性だ。例えば、由紀精密は欧州の大手エンジンメーカーの航空用ジェットエンジン部品をつくっている。求められる基準が高く、つくれる企業が少ないゆえに、一度その世界に参入できれば受注は安定する。

もう1つは、製品が会社を語ってくれるようになることだ。由紀精密は、時計製造の技術でもっとも難易度が高いといわれているトゥールビヨン機構が入った複雑な機械式腕時計も手がけている。

「年間10本ぐらいしか製作できないので、大きなビジネスにはなりません。それよりも、こういうものをつくれる会社であることをわかってもらう方が重要なんです」

こうした領域で成果を上げるのは並大抵のことではない。それができるのは、大坪が入社後、社内に研究開発部門を設け、ただ注文に応じて部品を製造するだけでなく、企画から設計、デザイン、開発までを提案できる「考える頭脳」を養ってきたからだ。今では、自社を「研究開発型町工場」と呼ぶ。どん底期に1億円を切っていた売り上げは、6億円弱までに拡大した。
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文=中村 計 写真=アーウィン・ウォン

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