日本人同士の間では、文化的・民族的価値観の差はほとんど存在しない。貧富の差も存在しているが、中国やインドといった国々との相対比較で語ると、これもほとんど存在していないと言える。日本は、国内に「文化の差」、「貧富の差」、このどちらも存在しないという世界の中でも稀有な国なのである。
世界と付き合うためには、「行間を読む」は通用しない
日本のように「行間を読む」、海外のように「行間を一切読まない」、これは各国がこれまで歩んできた歴史の中で生まれた習慣であり、どちらが「正しい」というものではない。ただし「行間を読まない」スタイルの方が、世界の中では「多数派」であるということは、日本人として認識しておく必要があるように思う。
日本国内で日本人とだけ話をしている分には「行間を読む」を繰り返しても問題はないが、グローバルに世界中で活躍したい、或いは日本国内で外国人と積極的に交流したいと考えたときは、多数派の人たちがプレイしているルールを知っておかなければならないからである。全員がサッカーをプレイしているのに、一人だけバスケをしても、勝つことも、活躍することもできない。
ところで日本人的な「言わなくても分かるでしょ」の反対は、「ちゃんと言ったんだから分かるよね」であると誤解されがちである。先にも述べた通り、相手の理解力に依存したコミュニケーションは外国人相手には成り立たない。つまり細かく説明したからといって、相手が理解するとは限らず、また相手が理解したからといって、相手がそれをいつまでも覚えているとは限らない。
グローバルな世界では、「言わなくても分かるよね」は成り立たないが、「言ったからには分かるよね」も成り立たないのである。
正解は、「繰り返し言い続ける」である。
私がアメリカの大学院に通っているときに印象的に感じた一例に、「リマインダー」の多さがある。
日本では「○月○日○時にxxでミーティング」と決まれば、あとはミーティング当日を迎えるだけである。アメリカではミーティング日程が決まったあと、多い時では一週間前、三日前、二日前、一日前、当日朝と繰り返しリマインダーが来ることがあった。
日本でここまでやると、「私が全然覚えていないと思っているのか?」と相手が受け止め、少し失礼になってしまうくらいのしつこさである。ただし、人によって毎日どの程度忙しいのかもバラバラであり、その中でミーティング自体をどの程度真剣に受け止めているのかもバラバラである状況を見ていたので、「確かにミーティング主催者は参加者に対してここまで細かくやる必要はある」と感じたのを覚えている。
職場でも同様である。仮に部下が「知りませんでした」、「勘違いしていました」、「忘れていました」、この3つのうちのいずれかを言ったとしたら、それは説明不足・リマインド不足という上司側の問題ということになる。
上の人間を立てて、下の人間が泥をかぶることを善とする日本的な文化の中にいると、これには違和感を覚えるかもしれない。ただし、日本のように同じ文化・教育水準で皆が育ち、「最初から共通認識を持っている」状況の方が、世界の中では珍しいということを忘れてはならない。
若者たちは、はっきりと説明されることを求めている
最後に、外国人ではなく、日本人が相手でも、若い人たちと話をする中で「こんなことまで一々言わせるのか」と感じることはないだろうか。
最近の日本の若者たちは、はっきりと説明されることを求めており、そして言われなかったことは理解できない。筆者はこれを、「欧米化する日本の若者たち」として見ている。
これは「時代の流れ」なので、良いことでも、悪いことでもなく、「目の前にある現状」として認識するだけである。そして欧米人と普通に付き合えるような感覚を持ち合わせている(=行間を読ませるようなことはしない)人であれば、日本の最近の若者たちとも問題なく付き合っていくことができるはずである。